ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■7300,閑話小題 〜飽きずにパンデミックの話
    * まだまで、序盤戦…
 ワクチン投与の開始で、目途が立った空気感が漂っているが、100年前の
「スペイン風邪」から第二次世界大戦までを類推すると、まだ二合目でしかない。
これから先は、中国や、テロリストが、これを戦いの手段と知り、悪用の可能性
を考えると、ミサイルを手に入れたようなもの。これだけは如何にもならない。
北朝鮮を例にすると、家族を虐殺された1人が、ドローンで細菌を投下するのは
至極、簡単。アメリカに向けた弾頭弾と効果は変わらないため恐ろしい話になる。
今世紀末まで世界は無事に過ごせるかが現実問題になってきた。
  ――
    * オリンピック次期会長は…?
 次期会長に、安倍前首相の名前が出ているが、オリンピックの開催は土台、
無理のことは、彼らが一番、知り得ていること。 嫌味で安倍の選択もあるが、
そこまで、捻りの入った人選を出来ようもない。 麻生副首相辺りが順当だが、
誰が火中の栗を拾いますか? どのみち、開催が危ぶまれている人選!
{8年後に延期決定」が、妥当だろう!

・・・・・・      
6913,読書日記 〜『不幸論』といえば
2020年02月17日(月)
読書日記 〜『不幸論』といえば、中島義道。 
                    『不幸論』 中島義道著
   * <どんな人生も不幸である>という結論
 全ての人の最期は「惨憺たる死」が誰へだてなく待ち受けている。
死ぬことは、一人称の『自分』が0人称になるのだから、一人称の自分は死な
ないというのは分る。‘死んでしまえば、それまでよ’である。最後の30分は、
地獄の苦しみタイムになるが、それも娑婆への未練の立切に必要欠くこと出来
ない事になる。 アルコール依存症とか、薬中の人には、楽しんだ分、苦痛が
上乗せされる。身近な二人称の人の死を凝視すると、やはり、『不幸論』って
いう論も分る。恵まれた人生ほど、最後の最後に、失う苦痛と苦悩は大きく圧し
掛かってくる。それも生きていればこそ。
 ―
  〜Amazon 内容紹介より〜
≪ 「幸せになろうね」「私はほんとうに幸せ者です」……。
 世に蔓延する「幸福でありたい症候群」。だがその幸福感は、他人の不幸や
「死」の存在を「知らないこと」「見ないこと」で支えられている。
本書では、古今東西溢れる「幸福論」とその信者たちの自己欺瞞を鋭く指摘。
さらに「他人(自分)を傷つけないために真実より嘘を語ること」を優先する
特殊日本的幸福論者の傲慢さ、怠惰さを赤裸々にする。
 著者は、長年の哲学的考察の果てに―どんな人生も不幸である―という結論に
辿りつく。この恐ろしく理不尽な「真実」をトコトン見すえて不幸に留まって
はどうか。そのほうが「よく生きる」ことができるのではないか、と提案。

 <目次>
第1章・幸福のための条件 
第2章・さまざまな幸福論 
第3章・幸福がもたらす害悪 
第4章・相対的不幸の諸相 
第5章・「死」という絶対的不幸 
第6章・自分自身の不幸を生きる

 著者の人生哲学が凝縮した、世界初の「不幸論」。
 ――――
▼ 私は如何だったか? 幸福・不幸感というのは、その時々に変わるもの。
 私は、3割が不幸感、7割が幸福である。それらは、現時点の躁鬱状態や、
体調に左右される。老化は病い、それも炎症。なる程、その実感がする

――――
2016年08月26日
堀井の居間 
   * 幸・不幸の実相
 10年位までは、青少年向きのテーマとして、その話題は一般的に避けられて
いた、幸福論、不幸論が表舞台に出てきた。世界的に政治・経済の停滞が、
起因している。 同じ人生で、これほど違うかと思うほど、孝・不幸の差がある。
よくみると、その差は親の愛情と、教養の差にあるようだ。
 人生の甘味、辛さも一通り味わったつもりだが、孝・不幸は、自己責任と、
痛感する。要するに、幸・不幸は起こってしまった現実の解釈と、受容の人生
への姿勢にある。それは長年かけた心のベースから派生する。それが稀弱な人は、

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02月17日(水)
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