ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■7001,閑話小題 〜7000ですか!
* 7000回分の暇つぶし
1000の大台を超える度に、感想を書く度に、ほぼ同じことを書いている自分と
邂逅することになる。年末・年始、お盆や、ゴールデンウィークなどの恒例行事
の他に、回数の区切りの感想になる。 次男に、「同じことばかり書いている」
と言われたことがあるが、自分では気づかないのである。「書く」というより、
「書き続ける意義」の実感がある。今では‘随想日記脳’が出来上がり、それに
支配されてしまっている感覚である。時どき、得体のしれない過去の自分の想念
に驚かされている。文章化して残すと、体験が経験に昇格するような感覚になる。
これが重要であろう。死んで三日もすれば永遠の彼方に生臭い風?と共に消えて
いくが、書いておけば余韻が当分、少しは残りそうな… 時間軸で、自分の変化
をみるには、千回単位で読返して自らと対峙するには良い。この稚拙な文章に、
テーマ探しから、荒書き、推敲などの数時間のエネルギーを集中してある… で、
この程度だが、TPOSの記録には最適な行為と自ら感じとれ、自らと再会している
ような親近感がある。書いてきた質量そのままが、自分になる。次の大台は、
8000回になるが、微妙だが、如何だろう?
2017/08/25
閑話小題 〜 随想日記、6000回超え、
* 随想日記も、6千回超え
千回単位を超えた度に、その時々の実感を書いてきた。この16年と数ヶ月の間、
‘テーマ探し’が、遊びの柱になっている。 凡庸な者が書上げるには、膨大の
時間とエネルギーを使うしかないのが最大の利点になるが、時おり何も浮かばず、
茫然とする。 この下地が20歳半ばにあった。卒業の直後に感じたことは、
「長い人生で、多くの経験をするのだろうが、それを高めるため、現場体験や、
情報をコンパクトに纏める能力( =経験を言葉に変換し、起承転結に完結する
物語化する技能)こそが重要と… そこで会社を辞め、産能大に籍を置き、KJ
法や、創造工学の書を独学で学んで、辿りついたのが、ハガキ大のカード二枚を
ホチキスでとめファイルにし、カードに感想文などを書き、その間に新聞やメモ
を挟み、カードボックスに分類して放りこむ、システムである。それそのままが、
個人HPであり、ブログになっている 16年前に、ネット上のブログとして公開、
外部脳として、活用している。 情報収集に検索と、ネットサーフィンが非常に
有効に働いている。まだ、ブログが出揃う前後で、パソコン教室で「個人のHP」
の共同制作を通して、ネットに別世界をつくり始めていた。現在でも、細菌対策
のバックアップの役割として続いている。これは、ブログ閲覧の10分の1以下
だが、当初からの閲覧者が根強く存在している。6千回も続くのは、それなりの
軌跡があってのこと。批判・批評なら誰も出来るが… 好きにならなきゃ無理。
2つの合計、350人前後の閲覧者が、今年に入って500人近くに増えた。
少しでも力を抜くと、即、減るため… 抜くに抜けないのが実情。結果、馬鹿
丸出しになる。自覚をしているため、平気だが…
要するに、「ライフワークになってしまった」ということ。
・・・・・・
5000,閑話小題 ー今日で5000回!
2014年11月22日(土)
* 随想日記も5千回に
気持ちを入れた文章は足跡として残る上に、過去の同月同日に再び、
その時の自分と出会える。5千回は、以前より大きな目安としていたので、
やはり感慨が深い。とにかく続けることだが・・
この随想日記と、50回の海外ツアー(来年達成)と、新潟駅前事業が、
この30年の大きな行蔵だが、これ、何の価値(意味)があるの?と、改めて
問いなおせば、何もない。ただ、ひたすら生きてきた中で、これがあっただけ。
面白く、厳しい場面が多くあったが、悔いは無い。いや、そう思うしかない。
読み返すと千回までが大変だったのが見てとれる。5分遅れでアップ
できなかったことが一回あったが、我ながら五千回もよく続いたもの!
学生時代に日記と、卒論を書いた以外は、社内報に二月に一度、書く以外は、
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05月15日(金)
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