ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■6588,閑話小題 〜即席ショートショート
* ショートショート ―独白録―
≪ 〜 その状況のわりに、何か楽しそうだね 〜
独白って面白いもんだよ… まあ8年も経てば、状況を受入れられるしね。
20世紀半ばの1946年1月に生れ、奇跡の時代と言われる高度成長真只中を生き
られた幸運を充分に味わえたしね。運命は早々に受入れた方が良いぐらいは
よ〜く解っているさ。結局は両親との相性が良かったということ。 最後は、
ハードの着地だったが、規模の割には、上手く乗りきれた。 何はともあれ、
個人と、会社と、家族の三身を分けていたのが幸いしたね。事業設計から、
その辺りの方針どおりに運営してきたし。人生って何が起こるか分らないこと
を両親の教えられ育ったことと、創業期の1970年代の二つの大きなイベントで
肌身に沁みていたもの。そのイベントは「ドルショック」と「石油ショック」。
創業期に、これに直面したお陰で、万一の備えの必要性を実感していたしね。
その割に阿波踊りをしたな〜
〜何で、これがショートショートなの?
同じことを繰返すがね、振返ると、目先1年と、5・10年と、50年スパンを、
分けて考えられる時期にきたからね。 ここで整理も必要かとね。それには、も
う少し大胆な切口も必要かとね。 以前に『白い雲に乗って』のテーマで、
幼児・少年期の思い出話を書いていた。それと、450年前の御先祖様の語りと、
飯田橋駅前の居酒屋の店主の独り言。 感情移入が少なくて現在、読返しても
稚拙だけれども書いていた時には不思議な気持ちになっていたね。10数年前の
テーマだったけど。本当に白い雲に乗って里帰りをしているよう。そのまま、
詳細を表現すれば、日々がドラマの場面? 70年近く経ったんだからね。
73歳だよな。それなのに、朝っぱらから、こんなことを書いている。70年前は
今では大昔だもの。生れた直後が、太平洋戦争の敗戦直後で、実家は空襲で
焼け出されて、両親が10人家族を養うために必死に生きていただったもの。
何か、魂の故郷を彷徨っているようである。間違いなく、その時、そこに
あった光景… 心象風景が見えてくる。 ≫
―
▼ こうして書けること自体が幸せである。いま思うと、軍事国家の縛りから
解放されて、与えられた民主国家に国民の心と頭が塗り替えられようといて
いた時節。一家にとって大変な時代。その幼児体験、いや胎子体験が、人生に
色濃く影響していたようだ。これは同時代の人たち全てが同じ。どん底なるが
故に、青壮年時代は奇跡的な右上がり経済の恩恵を授かった。自分の人生に
心から感謝できるのが最も大きな収穫である。そして、地球上に生命が生まれ
出て40億年来の、最大の変革の『情報革命』に直面することが出来たことも、
大きな収穫である。 ならば可能な限り、その現象と本質を味わないと…
生れてきた甲斐がないじゃないですか。世界は、いや、宇宙は広い。そして、
他にも10の500乗もある宇宙の存在。 それを知ったのは、僅か数年前のこと。
まだまだ、知りたい、味わいたい。生きている内に。それにしても、このバカの
壁。何とかなりませんか。 まずは、老齢?からくる『面倒くさい』
・・・・・・
2007/02/10
2139, 白い雲に乗って ー1
* 両親の思い出
夜半に幻想的な夢をみた。小さな白い雲があった。それに乗ると、ふかふか
浮いて異次元の世界に引き込まれてしまった。そこは4歳の頃の世界におりたよう。
すべてが鮮明な蘇った当時の世界が浮かび上がってきた。
両親がいて、兄達と姉達、そして多くの従業員がいた。
そこは越後長岡の十字路のど真ん中にある当時の私にとって大きなビルの中。
一階が店、二階に事務所と倉庫があり、三階に家族の住まいと台所、四階には
従業員と姉達の部屋があった。白銀に輝くファンタジーの中に包まれていた。
三階の住まいに猿のタロー、そしてタマという茶色の猫がいて、そこでラジオ
から童謡とか歌謡曲が聞こえていた。店には若い女店員が多くいて、ぼくを
「ハッちゃん」と頭を撫ぜてくれている、正に当時の真っ只中にいた。
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03月30日(土)
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