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堀井On-Line
by horii86
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■6418,読書日記 〜 記憶こそが人生そのもの
『60歳からの人生を楽しむ技術』渡部昇一著
* 人生はたくさん憶えているほど豊かになる
55歳から、ネット上に、この『テーマ日記』を欠かすことなく書き続けている。
1000,3000、6000と書き続け、その日書いたミニ物語を含めて18年分を流し読み
ていると、人生の行蔵を含めた記憶がフラッシュのように現れ出てくる。
この蓄積の内容が、自分そのものであり、これ以上でも、以下でもない?
20歳代の学生時代などの日記に、リアルな日常の細部が、数十年後も読返す
と、その時の自分に一時、立ち返ったような錯覚になる。それも記録として
細部を書いていた為である。人生は多く憶えているほど豊かになる。思いだした
時どきに、小まめに記録すれば良いが、それがなかなか。
17年数ヶ月、書き続け、蓄積すればするほど、心豊かになっているはずだが。
そして毎朝、自分のアイデンディティと向き合った時間は、ある意味、瞑想を
しているような異次元世界に居るような…。記憶こそが我が人生そのものになる。
〜そうか、記憶が人生ですか。とすると、小さいながらも過剰リッチになるのか。
【 …記憶とは何なのだろうとよくよく考えると、その人のアイデンティティ
そのものであるという結論に至ります。記憶こそが、自分自身というもので
あり、今の自分の行動を規定しているもっとも大きな要因だと気付いてハッと
します。たとえば、私の妻と他の女性を画然と区別するのは、この51年間、
2人の記憶が共通していることです。 同じ事柄に対する2人の見方や印象や
解釈が異なることはおおいにあっても、2人に起こった毎日毎日の小事件に
ついては記憶を共有しているのです。夫婦というものが特別な関係なのは
セックスだけではありません。老夫婦ともなればセックスに関係なくても、
数十年の記憶を共有しているのです】
『遺留分放棄』について…
【 私の遺産をどうするかと考えた時、その対象は妻子になります。それは、
私と共有した記憶の量によって決まっていることに気付きます。おそらく私は
全財産を妻に残すべく、子どもたちに遺留分の放棄を求めるでしょう。これは、
私と共有する記憶の量がずば抜けて多いのが妻だからです。もし妻が私より先に
死んだら、私は子どもたち3人がほぼ均等に遺産を分けるようにという遺言状を
書くと思います 】
『記憶』に関して、
【 突き詰めて言えば、人生とは記憶です。もしすべての記憶が失われたら、
肉体はその人であっても、人格はその人ではなくなります。晩年を生きるに
あたって、もっとも大切なことは記憶力を鍛え、多くの記憶を持ち続けること
ではないでしょうか 】
『記憶維持には、脳を使い続けるしかない』で、
【 記憶の働きというのは本当に不思議です。『人は二度死ぬ』と言います。
一度目は息を引き取った時、二度目はその人のことを記憶する者がなくなった
時だ。 … 細胞という水を流していた川に相当する記憶が失われる。
川がなくなって、行き場を失った水だけが淀んでいるようなものです。
これは長寿者に起こり得るもっとも大きな悲劇でしょう。『ボケてしまえば
何もわからないから本人は幸せ』と言う人もいますが、記憶を失った自分は
自分ではありません。自分でなくなった自分の肉体が、生きて徘徊する姿を
想像して、怖ろしくない人はいないでしょう。それに家族も大変です。】
ーー
▼ 「記憶は、記録!」の要素は大。記録として残してない期間は、残して
ある期間と比べると薄弱になる。忘却も人生には必要だが、書き残すとは、
記憶の痕跡を残すことになる。 もっとも、半径500m、5kだけでは…
誰でも自分が知っている以外、知らないのですから!
追: 何か去年の同月同日分の内容と、丁度よく繋がる…
・・・・・・
6053,「ナミヤ雑貨店の奇蹟」ー2
2017年10月09日(月)
* 「大変な人」たち
一昨日、「ナミヤ雑貨店の奇蹟」の感想文を書いていて、何か奇妙な感覚に
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10月09日(火)
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