ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■5776,福田恆存の「私の幸福論」〜�
           「私の幸福論」福田恆存著
   * 人間は不平等である
 著者のいう幸福とは、「不幸にたえる術」。俗の幸福論とは違い厳しく冷たい。
  冒頭の「美醜について」からしてシビアである〜
<「醜く生まれたものが美人同様の扱いを世間に望んではいけないということ。
 貧乏人に生まれたものが金持ちのように大事にされることを望んではいけない
 ということです…」>
<人間は不平等だ。悪いといおうが、いけないといおうが、事実だ。しかし
 現実がどうであろうとこの世に生まれた以上、あなたは幸福にならね責任が
 あるのです。幸福になる権利より、幸福になる責任について語りたいと思う…
 幸福というものは、もっとも難しいことです。それは、たった一人の孤独な
 たたかいであります。>
<見合いが、どうだこうだというが、一歩外に出れば、始終、見合いをしている
 ようなもの。街頭における不意の見合いは、準備された見合いより、ずっと
 純粋である。(略)… 美醜によって、人の値打ちを計るのは残酷ですが、
 美醜によって、好いたり嫌われたりする事実は、もっと残酷であり、どう
 しようもない現実である。それらを隠して、美醜など二の次だという方が、
 私にはもっと残酷に思えるのです。>
――
▼ 女性雑誌の連載モノを編集した本だが、「美人=幸福、不美人=不幸」の
 図式に対する読者の一部から激しい抗議、反発が多くあったため、二章で、
「ふたたび美醜について」をテーマにし、「美醜を幸不幸で左右される」では
なく、「損得」と表現すべきだったと述べている。 4人の姉の存在で、女性
というより人間的側面をみてしまう習癖があったとしても、美人は絶対有利で
あることは紛れのない事実。 それが幼児の頃から別扱いをされているなら、
それは幸・不幸に大きく左右する。 とはいえ、美醜に正比例するかといえば、
そうでもないのが人生。「持っている機能」は美醜に関係なく皆同じ。かなり
の美人に多く接する機会があったが、8割がたは性格も比例している。問題は
残り2割だが、それは横に置いておく。 意外なことに、選ばれし?女性は、
常に、そのことを意識し、隠れた努力をしている。その割には周囲は敏感に
反応してくれないジレンマを抱えている。 だから渡辺淳一ではないが、
「まずは、心を籠めずに誉めろ」が、第一歩? その姿かたちは、何代にも
わたる掛け合わせと幼児からの賞賛と努力を元に出来ている。女性には
「女カースト制」があるという。この言葉で検索をかけると…
< 女社会はいわずもがな、身分のはっきり決まった「カースト制」である。
容姿、彼の有無、モテ度、学歴、仕事、肌のハリツヤなど、あらゆる事柄が
比較対象となり、ぼんやり「女として上か下か真ん中か」が自覚できる仕組み
になっている。…「同性に嫉妬されやすいのは、『成り上がりモテタイプ』。
たいして美人じゃないけれど頑張っておしゃれして男ウケすることをして、
その結果、モテる子は同ランクの女子から敵視されやすい」>
女社会は剥出しのサル社会?「和して同ぜず」群れない毅然とした美人が理想。
 そんなの妄想でしかない?どうだろう? 定期賞味期限付きでは存在する?
数ランク上?なら、そう見えるのかもしれないが… やはり妄想ですか!

・・・・・・
5411,新年に 〜情報と知識の違いについて
2016年01月07日(木)
            〜『残酷人生論』池田昌子著
   * 情報と知識の違いについて
 以下の文章は、哲学者の故池田晶子が20年前、Windows95が
世に出てきた頃に書かれた文章である。その後の激変したネット情報化社会
の現在でも、そのまま通用する内容。 高度をコードと捻っているところが
面白い。知識とは違った有効な生情報も、情報社会に生きるものにとって
重要な要素である。情報と知識の違いを簡潔に説いている。〜その辺りから〜
≪ 前に、情報は「しょせん」情報だと言いました。高度情報化時代なんて

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01月07日(土)
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