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堀井On-Line
by horii86
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■5774,閑話小題 〜シェルター内事情
* 居間から寝室へ重点移動
★ 一昨年の11月に寝室のTVにWoWoWの二台目契約をした上で、ブルーレイ
を入れて13ヶ月、経過した。 居間では外界の音が入ってくるが、寝室は、
ほぼ無音状態。この間の録画数が300本を超え、限界状況の表示が出てきた。
今では録画する都度、優先的に何かを見るか、消している。
『録りだめしても、二度と見ないのでは?』の対策がある。映画に飽きた気分
転換に、小まめに録画一覧を見て、頭部分だけを見る習慣付をするとよい。
習慣的に見ていると、これ自体が面白くなる。 また再び続きから見ると、
連続ものを見るようで抵抗がなくなる。 面白いものは、何があれ面白い。
★ 年末年始の一週間、面白そうな番組が目白押しのためベッドにクギ付け状態。
それに飽きると、廊下を挟んだ仏間の一角のパソコン前に移動するか、居間
まで出張をし、お茶を飲む生活。その寝正月も、昨日からはスポーツジム通い
が始まり、TV漬け生活も終わった。とはいえ、それに図書館と、スーパーの酒
とツマミの買出し、スポーツジム通いが加わるだけ。 6年続けてきた、週一の
シネマ通いは、今年から大よそ半分にする予定。ベッド内で映画を連日見れば、
二週に一度で充分?だが、実際はどうなるか。 『こんな生活、飽きない?』
という声が聞こえてきそうだが、そうでもないから困ったもの。雪国の冬場は、
「晴耕雨(雪)読」で、シェルターに閉じ籠りを楽しむしかない。
<還暦までの10年間に、30年分を圧縮して生きる>が、実際に、そこまで出来た
かどうかは別としても、この年齢になると、気持ちを穏やかにさせてくれる。
老いの愚痴、怒りは、世間的制約で、出来なかったこと、実践できなかった、
不燃焼が起因している。で、攻撃は、弱者とか、社会そのものに向かう。
次々と立ちあらわれくるフラッシュに、独りごとを呟いている自分がいる。
・・・・・・
5409,新年に ー「過去」は過ぎ去らることはない
2016年01月05日(火)
*「過去」はわたしを忘れない 〜『貧乏の神様』柳美里著
芥川賞作家の柳美里の『貧乏の神様』の中にあった言葉。
現役時代の「森の生活」の時節は、過去は遠い彼方のように思っていたが、
還暦を過ぎる「サバンナの生活」に移行したころから、以下のように
過去への心象風景がチョイと変わってきた。 〜その一節より
≪ ・・「過去」とは、過ぎ去った時間や事柄を示す言葉ですが、
わたしは、「過去」は決して過ぎ去らない、と思うのです。
自分が2つの足を置いているその場所に、過去は地層のように堆積し、
精神が地震に遭ったように揺らぐと、足元に亀裂が走り、地層(過去)
が露出する―― 放浪の最中に、わたしは何度も過去に待ち伏せされ、
過去の落とし穴に足をとられそうになりました。
わたしが過去を忘れても、過去はわたしを決して忘れない。
過去が更新されて「今」になるのではなく、過去は過去のまま
更新されるのです。未来は全て過去にある、という言葉の意味を、
40歳を過ぎて噛み締めています。≫
▼ <過去を忘れても、過去はわたしを忘れない!>
<未来は全て過去にある> の言葉が先の少ない時節の胸に刺さる。
秘・異郷を中心に50回のツアーに行った先のどこかが、TVの旅番組で、
毎日のように現地レポートされる。その度に、それぞれの記憶が露出し、
その体験した記憶に、新たな現地の映像が加わっていく。この随想日記も、
早朝に15年分を読み返していると、過去からの声が、それぞれの同月同日の
「いま、ここ、わたし」の声が、ざわめきのように「いま、ここ、わたし」
に語りかけてくる。 葬式で、故人の決して後味が良いだけでない思い出が、
心の足元を揺らがすことがある。サバンナ(御隠居)の生活では、有り余る
時間の中で、過去の堆積物から思いもよらないフラッシュが沸いて出る。
あの暗い老人は、その暗黒の堆積物の暗部に引き込まれた結果である。
「因果応報」「因縁」というが、隠れている過去は、何かをキッカケに
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01月05日(木)
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