ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■4857,閑話小題 ーつれづれに漠然と!
* ぼんやりと、考えてみると!
時間とは何だろう? このところ、鳥瞰的に30数年前の時間を超えた過去の語り直しをシリーズで
書いているが、「遠き日は年とるごとに近くなり」の感が、ますます強くなっている。 新しい気づき、
切り口から見える当時が、新鮮に思えてくる。死んでしまえば、全てが永遠の彼方に消えてしまう
のか?それとも、永遠に経験は刻印され残るのか?
私と行蔵の記憶の刻印から成立しているのか? その刻印も、後で書き換えることが可能なのか。
世間の流説は、ほぼ嘘だが、それを疑わずに信じるものには、それは真実の記憶になるのか?
バカがバカと自覚できないのが世間様。その彼らが作った妄想を真実がごとく信じ、まかり通るのが
俗世界。そこでしか生きることが出来ない私たち人間? それも小さな世界の中。
過ぎ去った昔と、現在。宇宙的時間からみれば、同じ様なものだが、間違いなく、時間差の中で
違う人が存在している。それが、自己と、自分の、言葉の意味の違いになる? 刻々変化する
世界と、自分の受け止め方の変化。両者とも、儚い泡のようなものでしかない。
なるほど、《ぼんやり》とは、「闇」―蛍と星にある背景。「独」―独りでいること。
「閑」―逆茂木に囲まれ時空。「怠」―勤勉だけでなく、怠慢も善。「懶」―心の余白。の様というが、
過去を覗き見ると、それが、ぼんやりと、解るような? 《ぼんやり》と、《無我夢中》の言葉の対比が、
何とも面白い。これからして、無我夢中は、光、輝きになるが・・
人生を取り囲んでいるのが、先の5つの一字の漢字。 ぼちぼち、過ごすしかない。
* 夢と現実の境目で
一月ほど前に、久々に大学時代の友人に電話をしたところ、数日後に大腸検査をすると浮かぬ声。
知人で何人か死んでいるのと、検査も初体験で、そのことで頭が一杯で、落ち込んでいるという。
その後、その結果がどうか?は、大腸だけに電話を躊躇った。そこで、先日、思い切って携帯に電話を
入れたが不在。 その夜半の夢の内容が、《 居間でウトウトしていると、当人から電話。
非通知だっが、私ではないか?と、折り返しの電話。そこで『検査の結果は、どうだった?』と聞くと、
『う〜ん』しか答えない。そこで『入院をしているの?』と聞くと、曖昧な生返事。 まずかったかな?と
後悔したが、時すでに遅し!》
ところが、朝起きて、暫くして、あの会話は、居間で転寝の現実の電話か、夢だったか分からない。
そこで携帯の着信記録を見て、夢と確認が、今度は、あれが正夢では?と、気になって、性懲りなく、
電話をしたところ、『ああ、あれ! 単なる胃腸の疲れで、何ともなかったよ!』と、明るい声。
・・・・・・
4490, 怒らないって本当は恐い! ー5
2013年07月02日(火)
* 哲学者と、ジェファーソンの教訓 『怒りの作法』小川仁志 著
ここで、哲学者は怒りについて、どのような教訓を残しているか取り上げている。
・ギリシャの哲学者ピタゴラスが、「怒りは無謀をもって始まり、後悔をもって終わる」といっている。・・・
・デカルトは『情念論』の中で「怒りによって真っ赤になる人は、怒りによって真っ青になる人より恐ろしくない」と表現している。
赤くなる人は、頭に血が上っている人でラッパ型。青くなる人の方が余程怖い。最初は事態の深刻さに青くなる、しかし、その後
恐ろしいほど冷静に対処することができる実務型。
・ストア派哲学者セネカは、「憤怒より己を抑えるには、他人の怒れるときに静かにそれを観察することなり」と提案。
・アメリカ建国の父トーマス・ジェファーソンは、「腹が立ったら 何かを言ったりしたりする前に10まで数えよ
それでも怒りがおさまらなかったら 100まで数えよ、それでも駄目なら 1000まで数えよ」というのがある。
決して我慢をしろというのでなく、その間に冷静になって考えろ!考えた分、良い結果が生まれるということだ。
ピタゴラスの教訓は、直情型の怒りに対するもの。怒ってばかりいては短い人生のロスになるが、ボッとしているのも。
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07月02日(水)
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