ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■4806,変えてみよう!記憶とのつきあいかた ー3
          「変えてみよう!記憶とのつきあいかた」ー高橋雅延著
   * 自分も、人生も、記憶がつくりあげる
 記憶は、その痕跡として、自分でアレンジすることが出来るため、その蓄積としての記憶は、その人自身が作り上げた
要素が大きく加わっている。その時点での、自己対話としての内的世界が重要になる。そして、その記憶もである。
時間の経過とともに、その記憶も修正されていく。
《 記憶は自己の同一性の基礎となっており、私たちの性格や生きかたに大きな影響を与えている。しかし、たとえそうだと
 しても大多数の人は、記憶など自分の過去に起こったできごとの痕跡にすぎないと言うだろう。 これから未来へ向かって
生きていこうというのに、今さらどうしようもない過去の痕跡にかかずらっている時間はない、と。しかし本当にそうだろうか。
 先ほどのTさんの話の中には、未来に向かって生きるためにもやはり、記憶が重要なことを示唆する一幕がある。
記憶喪失のために八年間の記憶をすべて失ったTさんは、当初、何とかしてその記憶を取り戻そうと焦っていた。
母親はそんなTさんに、誰もが三六五日すべての記憶があるわけではないのだから、過去にこだわるよりは、今から何かを
始めればよいと言ったそうだ。しかし、それに対してTさんは、「今まで何をしようとしていたのかを知らなければ、前に
進むことができない。それを知らなければ生きている意味がない」と言ったという。
 このことに関連して私が思い起こすのは、戦後四〇年目におこなわれた当時の西ドイッのヴァイツゼッカー大統領の演説だ。
ヴァイツゼッカー大統領はこの演説の中で、第二次世界大戦のナチスドイツによるユダヤ人虐殺について深く謝罪すると同時に、
「過去は神でも変えられぬ」という台詞で、過去を変えることができないことを強調した。しかし、だからといって過去を
封印しようというのではなく、彼は「過去に亡目になる者は現在に目を閉じることになる」と続け、過去を知り、それを
現在に生かすことの大切さを訴えかけたのだ。基本的には、私たちの記憶もこれと同じではないだろうか。自分の記憶を
みつめることで、それを現在に生かすことができ、記憶は未来への航海へと漕ぎ出す原動力となるのではないだろうか。》
 ▼ 記憶といえば、日記に書かれていたかどうかで、大きく違ってくる。だから、ネットや、日記帳に、書き込んでいる。
  そして、毎年の同月同日分を読み返しているが、なるほど、自分の加工が大きく入っている。それが「自分」という
 ことになる。ということは、それぞれが自分史を生きているのである。今さら書く事もないが、より足取りを確かに
 するためには、書いておいた方が良いのだろう。改めて、何気なく繰り返し思い出している記憶が、実は、自分が大きく
 加工したものでしかないとすると、やはり共同幻想、幻覚の中で生きているだけということが、少しは自覚できる。
 最近、ブログで過って行った先の写真をネットからコピーし、ブログに載せているが、これが、当時の記憶を彷彿させる。
 これも、当時の記憶の再生と、再体験になる。行ってなければ、注目もしないだろうし、どんな写真より、当時の感動の
 方がはるかに良い。過去の再生と体験と同時に、新たなる未来のためにも、常に、記憶の手入れが必要になる。
・・・・・・
4439, 「死ぬのが怖い」とはどういうことか ー9
2013年05月12日(日)
             ー「死ぬのが怖い」とはどういうことかー前野 隆司著
  ー これまでの7つの登山道を更に簡略すると、次のようになる(後書きより)ー
・ ルート1は、心は幻想だと理解する道。
 脳神経科学の知見から考えると、意識される今は幻想だ。今とは、未来や過去が調整されて今だと思わされているに過ぎない。
 自分が主体的に行っているとリアルに感じる意思決定も、そうしていると 思い込んでいるだけだ。
 僕たちは「生きていると錯覚しているだけだ」と考えざるを得ない。
・ ルート2は、すぐ死ぬことと、あとで死ぬことの違いを考える道

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05月12日(月)
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