ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■4766,ぼんやりの時間 ー1
                    ぼんやりの時間  辰濃 和男 (著) 
  リタイア以降、時間が有り余り、ぼんやりの時間が増えたかというと、そうでない。 ウツ病に陥らないために、
 早朝から寝るまでのスケジュールを決め、ただ淡々とこなしているからだ。 3年経った今、良いタイミングに、
 この書に出あった。平坦な一日がアッという間に過ぎていく。それはそれで良いが、ぼんやり時間が少なすぎる?
   ーまずアマゾンの内容紹介ー
《 常に時間に追われ、効率を追い求める生き方が、現代人の心を破壊しつつある。今こそ、ぼんやりと過ごす時間の
 価値が見直されてよいのではないか。では、そうした時間を充実させるために何が必要であり、そこにどんな豊かさが
 生まれるか。さまざまな書物にヒントを求め、自らの体験もまじえながらつづる思索的エッセイ。 》
   ーカスタマーレビューよりー
【「ぼんやり」と生きるライオンやサンマは生存していないのであろう、だから、人間にも本来、「ぼんやり」
は許されないのだ。幼い時から、火や水、悪臭や異音に鋭く反応しつつ成長し、身を守って生きている。
このような絶え間のない外界との緊張関係は、必然的に対極の「ぼんやり」への憧憬を生む。 すなわち、
「ぼんやり」は人間に生来備わった自然感情や心のあり方と見るよりも、生物として必須条件である「対外緊張」を
運命付けられた人間に根差した”解放願望”として捉えられるべきであろう。
 従って、「木と共に過ごす」串田孫一、「湖畔の小屋を建て、畑を耕す」ソロー、「隅田川の川面を眺めているうちに、
あっという間に2時間過ぎた」池波正太郎、「珊瑚や熱帯魚を求めてダイビングに浸る」玉三郎、「夏の夕暮れ時の樫の
木々に映える日の光に心を満たされた」ミッテランなど、どの登場人物も眩く輝いている。彼らのどのエピソードも
懐かしい幻想のように温かで、ユートピアのように心和ませるものがある。しかし「ぼーっとしながら生きる」のが好き
という深沢七郎の背後には片目失明の不自由をこらえて右翼暴力から逃げ惑った日々が刻印されており、「林に入り黙座す」
と「武蔵野」で詠んだ国木田独歩には、帰れば妻との確執の絶えない実生活が待っていた筈である。
著者は自らの体験も含め、こういう人間の現実の生活を冷静に観察した上で、「ぼんやりの時間」を持つことは実際には
口で言うほど簡単なものではないことを熟知するが故に、だから敢えて「ぼんやりの時間」を人間にとってかけがえのない、
貴重なものと見ている。本書に見られる「ぼんやり賛歌」は、大抵の生身の人間には実現困難だという著者の苦い現実認識と、
それでも尚、人間らしく生きる上で我々が忘れてはならない理想願望がベースになっていることを見逃してはなるまい。 】
 ▼ 欧米人のバカンスはリゾート地で、かけ替えのない貴重な時間を、のんびり過ごす。日常を離れた自然の中で、
 ボ〜っとするのが、最高のレジャーになる。日本には温泉宿で湯治で身体を休めるレジャーがあった。
 私のネックになっているのが、この随想日記と、ネットサーフィン。 誰に頼まれた訳でもないのに、毎日、これで
 自己達成をした気分にとらわれている。そうでもしないと自分を支えていられない状況もある。
 偶然だが、去年の今日(4月2日)の文章は、ノンビリしないで遊べ遊べというのから、この内容の意図に反している?
 「自分の限界としても、還暦までに、やりたいことをやった!」という思いが、ある。この時節も、ぼんやりなど、
 してはなかった。時節があるのだろう。どの道、死んでしまうまでの精神のあり方の問題でしかない。
・・・・・・
4399, 隠居大学ーよく遊びよく遊べ ー1
2013年04月02日(火)
            『 隠居大学ーよく遊びよく遊べ 』 天野祐吉、お相手 御隠居
 御隠居生活に予定より三年早く、二年前の65歳をもって入った。しかし振り返ってみると、51歳から実質的御隠居生活に
一歩踏み込んでいたようだ。 同居していた母親が痴呆症になって5年半後に亡くなった後、数ヶ月間は呆然としていたが、

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04月02日(水)
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