ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■4721,末期がん、その日のための予習を ー5
            ー「末期がん、その不安と怖れがなくなる日」樋野 興夫 (著)
 死にいく者を見送るのは辛いが、最も重要なこと! 見送る方も、その経験が自分自身の末期の予習になる。
父が余命一年と身内に宣言され、それを察知した父親の死への不安と恐怖を身近で感じ取った。そして現在、ほぼ同じ年齢に
なり、自分にも、同じような事態が、さほど遠くない近未来にやってくる。御陰で、長年かけてその時に対し、多くの知識を
入れてきた。その時は、その時だが、長年かけて積み上げた知識は生きる意味を学ぶことであった。
 最後は何もかも失ってしまう人生の残酷さ。これを前提に生きれば、何事も捨身で立向かうことが可能だったが?
  * 第四章 だいじな人との貴重な時間
・患者は病気のことを話したがっている ーだから、患者の集まりがにぎわう。(患者を人間、病気を自分に置き換えられる)
・親しいからこそ話せないことがある  ー「がん哲学外来」も、そのためにある。(だからがん患者の体験談の本が売れる)
・患者の日常を支えるのは家族     ー死を前にした生への欲求の乾きを満たすのは家族でも無理!
・30分間黙ったままいっしょにいられる関係 ー傍にいるだけで、来てくれるだけで充分。孤独地獄の中、藁をもすがる思い。
・「する」ことより「いる」ことのやさしさ ー御隠居生活の移行は、「何かをする」から「世に存在する味わい」へ。
・家族にも見えにくい患者さんの本心 ー当人と、周辺の人との理解は至難の業!割り切るしかない?
・愛しているなら心配するな    ー心配と愛情は違う。家族は、愛情で包むしかない!
・正論が正しいとはかぎらない、  ー家に帰りたい!に対し、同じ無理でも、言い方一つで、傷つけない注意を!
・「がんばれ」が患者さんの負担になることも ー「がんばっているのに、がんばれも、変」
・家族の「交替要員」はいない   ーだから、最期まで見送る覚悟を立てるしかない。
・患者を「第一」に考える     ーそのためには、当人にとっての優先順位を考える。
・家族の思いより患者の思い    ーだが、その立場の違いは無限大。
・がんを誰に知らせるかは状況次第 ー患者の立場になって。
・病院への遠慮はいらない     
・病気になる前にしておくことがある ーこの「その日のための予習」は、その最たるもの。
▼ 末期がんのための予習も、変なものだが。とはいえ、その時になってからでは無理。死刑宣告と、ほぼ同じ。
 自分一人が、突然、奈落の底に落とされ、絶望と、恐怖に、恐れおののくのである。そこで、人間は神を創作し、
 常に共にいてくれ、最後は天国に召されるという物語の刷り込みを数千年にわたり、してきた。
 最後は、神様にすがるしかない弱い存在が、知識を持ってしまった人間である。
・・・・・
4354, 書くことが思いつかない人のための文章教室  ー6
2013年02月16日(土)
           「書くことが思いつかない人のための文章教室」近藤 勝重 (著)
   * 感動体験を書く
 「言葉にならないほどの感動」は数限りしてきた。言葉にしてないが、感動の場面は脳にシッカリと刻まれているので、
それを言葉に替えて文章にすると、当然よい文章になる。人生を振り返ってみて、自主独立に過ごせたことと、感動を
目いっぱい経験できたことが、何よりも変えがたい。 ー以下は、そのあたりを纏めたものー
≪ 感動したことを思い出し書きなさい、感動したことは忘れない。高校時代の同窓に小学校の先生をしていた女性がいます。
彼女はやはり「作文は感動したことを書かせることよ」と話していました。子どもならずとも感動した話というのは、人に
話したいという思いが強いものです。感動とは心を動かされること。自分の心が動いたということは、とりもなおさず
「そこに自分がいる」ということです。作文が主として自分自身の表現であることを考えても、感動体験は最上の題材になる。 
感動には二つある。 外からの感動と内から感動です。外からの感動は、映画をみたりTVでドラマをみたり、本を読んだり、

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02月16日(日)
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