ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■4641, 閑話小題 ー「考えないこと」こそ罪
朝日新聞の‘論壇時評’で、作家の高橋源太郎が ー暗い未来「考えないこと」こそ罪ー をテーマに書いていた。
「馬鹿な考え休むに似たり!」としても、社会の常識を疑い、逆照射をしたり、哲学書を生半可とても、融かすように
学び続けるしかない。だから、考えようとしない人は直ぐに分る。まともな順にA,B,Cと分け割り切っている。その全ては、
過去の自分の行蔵に含まれており、険しい山道の道標の自分の姿でもある。死刑囚の『無知の涙』永山則夫著という書があるが、
「考えないこと」からくる罪は、無知から生まれ出る。 過去の記憶のフラッシュは、B,Cの自分の行蔵が殆ど。他人の評価は
別として、私自身としてAに到着したのは、還暦辺りか、それとも、65歳の辺りか。いや、Cのまま? ABCが混在しているのが
人間だから人生は面白い。 経済震災と自然震災もあって? この結果に終わり、あたかもオセロの白駒が、黒駒に変わった
ような経験をしてから、更に考えざるを得なくなっている? 筆者は「日々の暮らしに目を奪われ、考えないことが、
如何に罪を積み上げていくことを知るべき」という。 ーその辺りの一部よりー
《「憎悪の差別語をまき散らして憎悪をかき立てる『凡庸な悪』と、社会は如何に向かい合うべきか」の座談会の出席者たちは、
いわゆる「在特会」の「朝鮮人は死ね」といったヘイトスピーチの主張に、かってハンナ・アーレントがユダヤ人虐殺の中心
人物であったアイヒマンについて語った「凡庸な悪」を見いだす。深みのない「凡庸な悪」であるからこそ、底無しに広がって
ゆく可能性があると指摘している。彼らは特殊なのではない。私たち社会の中に、彼らの考えに同調する素地があるのだ、と。
だが、その「凡庸な悪」に染まり、世界を滅ぼそうとしているのは、「在特会」とそれを支持している人たちだけなのだろうか。
アーレントは、アイヒマン裁判を傍聴し、彼の罪は「考えない」ことにあると結論づけた。彼は虐殺を知りながら、それが
自分の仕事であるからと、それ以上のことを考えようとはしなかった。そこでは、「考えない」ことこそが罪なのである。
私たちは、原子力発電の意味について、あるいは、高齢化や人口減少について考えていただろうか。そこになにか問題がある
ことに薄々気づきながら、日々の暮らしに目を奪われ、それがどんな未来に繋がるのかを「考えない」でいたのではないか。
だとするなら、わたしたちもまた「凡庸な悪」の担い手のひとりなのかもしれないのだ。》
▼ 年末年始になると、中学、高校、大学、そして趣味などの忘年会に出席する。学歴が上がるほど、「凡庸の悪」の人が
間引きされ?少なくなる。それが、その場の空気を綺麗にする。「凡庸の悪」の傾向の強い人は、とにもかくにも考えない。
その代わりに、他人との比較と噂が主たる世界。そこから出る毒ガスで脳が侵されて、噂を嘘に変えていく「凡庸な悪」の
担い手、無知の涙に浮かぶシラミ。で、どの会にも一定の割合で存在する。逆に「考えるとは何か?」という問いかけは
哲学の問題になっていく。「考えないことの罪」は、人類そのものの原罪である。だから、人は学び続けるしかない。
その結果、我が内なる(過去・現在)B・Cに出会うことになる。その姿を見ている視線が、Aなる自分、考える自分になる。
・・・・・・
2012年11月30日(金)
4276, 100の思考実験 ー2
「100の思考実験: あなたはどこまで考えられるか」 ジュリアン バジーニ (著),
* ギュゲースの指輪
次に印象的だったのは「ギュゲースの指輪」である。 ウィキペィデアには次のようにあった。
≪ カンダウレス王の治めるリュディア国に住む牧人のギュゲースはあるとき地震にあった。
地震の後に畜群を放している山の手に洞窟が現れたのを見つけた。入ってみると中には玉座に遺体が置かれていた。
その遺体は金の指輪をしており、ギュゲースはその指輪を盗み出した。戻ってきたギュゲースは指輪を身につけてあれこれと
探るうちに指輪を内側に回すと透明になって体が見えなくなり、外側に回すとまた見えるようになることに気づき、悪だくみを
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11月30日(土)
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