ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■4594, そして、人生はつづく ー5
   * 生き直すために ー2        ー朝日新聞の「耕論」『生き直すために』小田嶋隆
  ー 前回の『生き直すために』の続きから        
《 ・・生き直すといっても「やめる」こと以外に何もしていない。サッカー観戦、自転車、イグアナも、時間を潰すため。
酒をやめることで仕事は上手くいくようになったが、それは結果であって、目標ではない。 AAで、最初に「私は、自分では
何もできない人間であることを認めます」と言わされる。これは一理あった。「自分で人生を立て直せる」と思い込んでいると、
依存症から逃れられない。 ・・「自分で自分を律する」というのは大きな勘違いで、その意識がある限り、人生のやり直しは
できない。 就職のやり直しにしても、結局は運です。「夢に向かって努力する」では、こだわりでがんじがらめになるだけ。
自分がどの仕事に向いているかは、実際にやってみないと分からない。人生を途中からやり直そうとするなら、何かを捨てること。
捨てた結果、その空白に強制的に何かが入ってくる。その何かが良いか悪いかは別ですが。会社を辞めたことも、酒と一緒に
それまでの生活を捨てたことで多くを失いましたが、その代わりに膨大な時間を手に入れたものも明らかにある。あそこで
やめてなかったら、今のような人生を歩んでなかった。どちらが良い人生かわかりませんが。
 30歳を過ぎた人間が、自己を改革するなんて不可能。ただ、何かをやめることはできる。人生をやり直すには、
何かを「目指す」のではなく、「やめる」ことからです。》
▼ 私が嵌ってしまった異境・秘境のツアー参加者に、多く見かけられるのが、ガンなどで余命が見えて、その克服や
 人生を改めて見つめ直すために来ている人が多い。晩年になれば、今さら生き直すことは出来ないが、考えるために、
 極限の秘境ツアーは悪くない。被災地視察という名の「ダークツアー」に似ている。「やめ時」を悟ったら、あとは
 「前向きに目をつぶって倒れこむ」しかない。そうすれば、自動的に現象は生き直しになってしまう。これも一期一会。
 捨て身でやれば「身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあり」になる。といって、覚悟が必要で、そのための周到な準備が必要。
 最期は、「そして、人生は終わり」! 「プツン!」になる。
・・・・・・
4219, 神は妄想である ー2
2012年10月14日(日)
   * 有神論と理神論と汎神論         ー「神は妄想である」 リチャード・ドーキンズ著
 理神論という言葉を、この本で初めて知った。「神を信じますか?」と、問われた時に、口を濁す代わりに、この理論を、
答えればよい。私は汎神論に近く日本人的考え方だったが、理神論を加えることにする。 ただ、「今ここにある自分の存在」が
不思議でたまらない。「類人猿が宇宙の存在と原理を意識して、そこに自然原理を見出し擬人化した『神』をイメージした」と
一言でかたずけられない。 神という言葉の解釈がいくらでも可能だからだ。 ーその辺りを部分を抜粋してみるー
 ≪ 用語法について念を押しておこう。有神論者は、そもそもこの宇宙を創するという主要な仕事に加えて、
 自分の最初の創造物のその後の運命をいまだに監視し、影響を及ほしているような超自然的知性の存在を信じている。
多くの有神論的な信仰体系においては、神は人間界の事柄に密接に関わっている。神は祈りに答える。罪を赦し、
あるいは罰する。奇跡をおこなうことで世界に干渉する。善行と悪行に思い悩み、私たちがいつそれを行うかを知っている。
理神論者も超自然的な知性を信じているが、その活動はそもそも最初に宇宙を支配する法則を設定することに限定される。
理神論の神はそれ以後のことに一切干渉せず、人間界の事柄に特別な関心をもっていないのも確かだ。汎神論者は、
超自然的な神をまったく信じないが、神という単語を、超自然的なものではない〈自然〉、あるいは宇宙、あるいは
宇宙の仕組みを支配する法則性の同義語として使う。理神論者は、彼らの神が祈りに応えず、罪や餓悔に関心をもたず、

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10月14日(月)
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