ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■4582, そして、人生はつづく ー2  
                『そして、人生はつづく』 川本三郎著
    ー『あとがき』ーも、良い (ほぼ、全文) 
《 「東京人」2010年7月号から2011年11月号まで連載した「東京つれづれ日記」を中心に、この間のエッセイを編んでいる。
 書名はイラン映画、アッバス・キアロスタミ監督「そして人生はつづく」に倣った。1990年、イラン北部を襲った大地震の後、
監督自身が大きな被害を受けた村を訪ねてゆくドキェメンタリー風作品。 どんなに悲劇に遭ったとしても生き残った者は、
昨日と同じように今日も生きてゆかなければならないという切実な思いがこの言葉にはこめられている。
 家内を癌で亡くしたあと、私にとってもこの言葉は支えになった。悲しみを大仰に語ることなく、毎日を普通に生きること。
なんとかいままでどおりに暮してゆくと。3.11の惨劇のあと、現代を代表する俳人、長谷川罹さんは、「やむにやまれ思い」で、
俳句ではなく歌を詠み、『震災歌集』(中央公論新社、2012)にまとめた。 そのなかに、こんな歌がある。
   「ラーメン屋がラーメンを作るといふことの平安を思ふ大津波ののち」。
 悲劇の大きさを知れば知るほど日々の「平安」が大事に思える。物書きである私にとっては、一人で暮らすことに平安を
見出していくことになろうか。頭のなかにはともかく、暮しのなかには修羅を持ちこまないこと。静かな生活を心がけること。
そうやって家内亡きあとの日々をやり過してきたように思う。もとより60代も半ばを過ぎた人間にはもう劇的なことも起らない。
いまのところ健康を保っているので、家事もなんとかこなしている。
 3・11後、「生存罪責感」という言葉を知った。家族を失い、自分だけが生き残ってしまうと、死者に申し訳ないという気持が
強くなることをさしている。生き残ったからにはなんとか生きてゆかなければならない。そう思う一方で、死んでしまった者に
負い目を感じてしまう。ふたつの気持に引き裂かれながら毎日がある。
 もともと旅が好きだったが、一人暮しになってから旅が増えた。といっても家を長く空けるわけにはゆかないのでせいぜい
一、二泊。ほとんどが鉄道の旅。 列車の窓から流れてゆく風景を眺める。あまり大自然には興味はない。人間の営みが
感じられる町がいい。鉄道の駅があって、駅前には昔ながらの商店街がある。 食堂やそば屋があれば有難い。
夏ならビール、寒くなったら燗酒。孤酒は生きる元気を与える。 旅をしていて以前とは違う楽しみも出来た。好きな町に
出会った時「老後をこの町で暮したら、どんなだろう」と空想すること。函館、盛岡、小田原、湯河原、松江、長崎など、
町を歩きながら、このマンションに住んで、この居酒屋に通って・・と想像する。 》
 ▼ 生の切実な声が、ストレートに伝わってくる。「最近の旅は、隠れ里探しになってきている」というのも良い。
  私も、この大きな住宅に何時までも住むのは無理である。5年が目処になるが、住み心地がベストのことも確か。
 それにしても、老後を、「そして、人生はつづく」というのは良い。連れ添いに先立たれたり、寝たきりや、病が
 次々と出てくる時節に、「そして、人生はつづく」から、「それでも、人生はつづく」になるのは致し方ない。
 その中で、いかに静かに心の平安を保つことの難しさは周囲の老醜を見れば分かること。 何もかも面倒になり、ただ
 惰性と安逸の中で、過去のフラッシュに心が動揺する。その反面、TVの旅番組で、毎日、行った先の旅行先を放送している。
 ドラマも、多くの経験を得た現在、今までと違う見方で味える。さほど先は無いと思い、あらため世の中を見ると、
 知らないこと、未経験のこと、気づかなかったことだらけ。 そして、人生はつづく。 されど我らが老後である。
・・・・・・
4207, 親子年表
2012年10月02日(火)
   * 自分目線の100年世界               
 還暦を過ぎた辺りから、その時々年齢の父と当時の自分の年齢を重ねてみている。更に最近では、「二人の息子の年齢に

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10月02日(水)
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