ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■4457, 今日は父親の命日 ー40周年
 今日は父親の命日、亡くなって40年になる。ここで毎年のように父の思い出を書いてきたが、父も本望だろう。
私も父の亡くなった71歳に、あと3年半で到達、目先の目標に近づいてきた。私の早寝早起は、父親の生活習慣を見習ったこと。
亡くなった当時は高度成長期真っ只中に、石油ショックが起きて日本中が青くなっていた。それから日本も世界も動乱が続いた。
私にとって父の死と、半年後の千葉での創業と、結婚は、大きな分岐点で、父の死を引きずり悲しんでいる暇は無かった。
何事も直接跳ね返ってくる事業人生が始まったからである。「親の死は子供に対する最大の贈り物」という言葉のとおり、
父の庇護が無くなり、それから全ての責任が直接被さってきた。 全てが未経験で、分からないこどだらけ、そこで亡くなった
父親を心の底で呼び出し、「どうする親父?」と一緒に考えていた。 次から次への難問が押し寄せ、判断、決断が迫られる。
頼れるのは、浅い経験と知識。それと「親父なら如何する?」の仮説の自問自答。あの時からの40年の歳月は、やはり長い。
世界も日本も、そして私も変わってしまった。 情報化社会の本格的到来と、ソビエト・東欧の崩壊、中国の共産主義の放棄が、
大きく世界を変える要因になった。
 心の底で父に、「ここまで激しい変化、親父も信じられないのでは?」と問いかけると、
「私の想像を遥かに超えている。しかし、羨ましい限り。世界の果ても気楽に見れるし、知識情報も簡単に入手できるし・・ 
混乱期としても豊かさの範疇。少し先読みをし、変化を受け入れ自分が変われるかどうかだ」との返事。
過去の命日に、その時点の思い書いてきた。読み返えしてみると、成るほど思いは残るもの。私が書いているというより、
父本人が書いてと思える位だ。両親から生まれでて、両親の元に帰っていくイメージがあるだけで充分幸せである。
父を通して多くのことを学んだ。何があったとしても、両親の御蔭で、よい人生を過ごせたと感謝している。さて、お参りだ!
 そういえば、母親の命日に、このような文章を書いてない。もっと世話になったのに。時々、夢にリアルに出てくるためか?
・・・・・・
4083, 父の命日 ー40回忌
2012年05月30日(水)
 5月30日には、毎年のように供養も含めて同じようなことを書いている。39年といえばアッという感より、遥か古い昔に感じる。
父が亡くなって5ヶ月後に千葉で千城台ビルをオープン、その一ヶ月後に結婚をした。亡くなった直後は、ショックで茫然自失だったが、
数ヶ月もしないうちに激務が待っていた。そのため父の死を悲しんでいる余裕も無くなっていた。その激務の中、ただ真正面に
ぶつかっていくしかない日々。そこで精神的、肉体的体力は、そのプロセスからついてくることを知った。 人間にはイザとなると、
信じられない力が潜んでいる。極限に自分を置いて真正面からぶつかれば、何とかなるものである。 私にとって生まれてこのかた、
父の存在と影響があまりに大きかった。亡くなってから気づいたが、常に父を意識して、物事を判断してきていた。だから、
その時に父が亡くなったタイミングは私にとってベストの贈り物だった。 父の死と、事業の立ち上げと、結婚と、私にとって初めて
独り立ちであった。 全ての計画、判断、実践を自分がして、結果がストレートに帰ってくるのである。 それが慣れるまでは、
「自由の不自由性」に戸惑ったが、一度慣れると、これほど面白いものはないと感じるようになった。 全てが自分一人の判断しか
頼りにならない。とはいえ決断しようにも自信がない。 そこで、自然と、「自分が父だったらどうしただろうか?」の自問自答になる。 
そう考えると、幼児の頃から父は直接、間接的に多くのことを教えてくれていた。 経営学とかの理論は、実践の場で直接役に立たない。
頼れるのは場当たりの直感だけである。事業を始めてから現在まで、子供の頃からの両親の教訓が役にたったことか計り知れない。
しかし終わってしまえば、それまでだが、自分がやりたいことが創業ビジネスだったので、現在の結果は、殆んど後悔はない。

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05月30日(木)
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