ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■4354, 書くことが思いつかない人のための文章教室  ー6
           「書くことが思いつかない人のための文章教室」近藤 勝重 (著)
   * 感動体験を書く
 「言葉にならないほどの感動」は数限りしてきた。言葉にしてないが、感動の場面は脳にシッカリと刻まれているので、
それを言葉に替えて文章にすると、当然よい文章になる。人生を振り返ってみて、自主独立に過ごせたことと、感動を
目いっぱい経験できたことが、何よりも変えがたい。 ー以下は、そのあたりを纏めたものー
≪ 感動したことを思い出し書きなさい、感動したことは忘れない。高校時代の同窓に小学校の先生をしていた女性がいます。
彼女はやはり「作文は感動したことを書かせることよ」と話していました。子どもならずとも感動した話というのは、人に
話したいという思いが強いものです。感動とは心を動かされること。自分の心が動いたということは、とりもなおさず
「そこに自分がいる」ということです。作文が主として自分自身の表現であることを考えても、感動体験は最上の題材になる。 
感動には二つある。 外からの感動と内から感動です。外からの感動は、映画をみたりTVでドラマをみたり、本を読んだり、
人の話を聞いたりして経験する。もう一つの内からの感動は、何かに挑戦して得られる感動です。山登りや受験に合格したとか、
達成感にかかわるもの。
 そこで感動と感激の違いというと、「感動」は大自然の美や映画、絵画など価値のある他者に向けられたもの。
「感激」は入試に合格したとかの自分にかかわること。というと、感激も感動の範疇に重なる。 何かに「あっ!」と、
思ったら、そこに自分があると思えばよい。女性初の国会議員の故加藤シズエさんは、一日10回の感動をモットーにしていた
感動人間でした。彼女の対談集に興味深い話が次々と出てくる。「脳というのは不思議なもので、普段はいちいち覚えたつもり
がないことでも、感動して思ったことはどこかの引き出しに入っている。誰が整理するのか、その脳が整理して必要に応じて
出てくる。なまじ、記憶で試験勉強で覚えたより、感動で覚えることの方が、自分の身につくということ」という。 ≫
 ▼ 「感動した時に、そこに自分がいる」には、納得する。この在庫を多く持っていると、色いろな引き出しから、必要に応じ
  あらゆる思い出が引き出せる。感動体験を意識して文章化をしておくことは最重要のことになる。感動体験の総体が、その
 人そのものといえる。感動は求めれば得られること。特に大自然の懐で体験できる。それも、内なる経験は、そこへの
 旅路の行程を乗り越えて、そこに至った喜び、そして、そこにしかない大自然の美しさの感動が相重なり、至高体験になる。
 そうこう考えると、まだまだ文章化をしてないことになる。書くことが無いとは、書く能力が足りないということになる。
・・・・・・
3979, よかまん ー2
2012年02月16日(木)
      「‘11年版ベストエッセイ集’人間はすごいな」 会田誠(美術家)
  ーよかちん節の由来ー
 これが??大学の大根踊りレベルだったら別に、そんなものだが、東京芸大の宴芸というから中和される。
それも自分の個展の入口に堂々と、というのも良い。品のないこと?この上ないので人には話すことでないが、面白さは格別。
卑猥な芸?も、書き方一つで抵抗なく読むことが出来る。若い時節の男の性欲は男なら分かるが異常に強い。 それを酒宴で、
露骨に踊ってみせるのも一興。 お神楽のヒョットコ踊りに、巨根の棒を振舞わして、オカメと踊るのを見たことがある。
その亜流だろうが、品はないが罪がない。 顔をしかめる人も多いだろうが、よくぞ・・である。 ー前回の続きからー
≪ 美術大学に代々伝承されてきた宴会芸に「よかちん」というものがあります。僕は今から四半世紀以上昔のこと、
 美大の新入生歓迎コンパか何かの席で初めて見たように記憶しています。どんなものかというと、宴もたけなわな頃、
やおら全裸の男が登場し、一升瓶を股間に挟んだまま(だから一応性器は隠している)、手拍子をとりつつ"数え歌"を歌い始めます。

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02月16日(土)
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