ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■4312, 幸せはいつうもちょっと先にある −2
         「幸せはいつもちょっと先にあるー期待と妄想の心理学」ーダニエル・ギルバード著
 幸せの意味についての切り口が、分かりやすい。  ー まずは、その箇所から
    * 3つの幸せ
≪ 「幸せ」という言葉には少なくとも3つの関連することがらを表すのに使われる。
「感情の幸せ」「道徳の幸せ」「判断の幸せ」である。
○ 感情の幸せとは、気持ち、経験、主観的な心理状態の表現であり、
 物理的の具体的何かを指すものでない。幸せはこの時代に生きる人が暗黙的了解で通じる気持といえる。
○ 道徳の幸せとは、「○○だから幸せだ」になる。感情の幸せなら、排便への幸せに少し似ていると考える人が多い。
 それは低俗で安っぽい、意義ある人生の基盤になりえない空虚な牛の充足状態でしかない。 哲学者のミルがいう
「満足した豚であるより不満足の人間のほうが良い。満足した愚か者より、不満足のソクラテスである方が良い。
 もし、愚か者や豚がこれに異を唱えても、それはこのことを自分たちの側しか知らないからだ。」
 哲学者のロバート・ノージックは、この安っぽい感情の幸せの信念が間違いと、架空の仮想現実装置を使って説明した。
「この装置があれば、誰もが思い通りの経験ができるし、自分が都合よく装置につながっていることを忘れることができる。
 彼は、以後の人生につながって生きていていいと思う人間は誰もいないと結論づけた。こんな装置で得た感情はちっとも
 幸せでないからだ。ようするに豚ならいざ知らず、洗練された有能な生き物には相応しくない目標ということ。
○ 判断の幸せとは、「○○について幸せだ」である。我々はものごとについての価値判断について幸せという言葉を使う。
 妻がタヒチに半年の赴任で、自分が子供達の面倒を見るとき、「自分は幸せでないけど、君が幸せなら僕も幸せだよ」
 という場合である。ここには、自分は幸せでないけど、妻が幸せなら、仕方がないという判断が入っている。≫
▼ この3つの幸せが、混同してしまうから問題が生じる。ただヒタスラ仕事に打ち込み、別荘をたて、そこで茶道具を
 買い集め、茶会を開き楽しんでも、最期に何か物足りない感情が残ったという類の話は、日常見渡せば幾らでもある。
 この3つが混同している典型的事例である。 感情の幸せを追うあまり、太った豚が、その辺の豚たちいへの面子で、
 本来の質素倹約を忘れ、何処か判断を間違ってしまった?のでは?いう後悔の念が纏わりつく。
 しかし感情、道徳、判断の幸せを分けて道楽をしていれば後悔はないはず。
 フランクルの、「良く遊び、良く学び、良く働く」の3つを、特に「良く」を意識して、バランスよく追求すれば、
 空虚な気持ちはないはず。「つねに面白いこと、ためになることを思っていれば、それで幸せになれる」ということか。
 ・・・・・・
3937, 閑話小題
2012年01月05日(木)
  * 年末年始
 この年末年始も、例年のように過ぎていった。事業から離れて初めての正月になるが気持ちは何も変りない。
ただ以前ほど政治経済のニュースに敏感に反応しなくなっている。こうなれば、良いも悪いもないが。
まだ事業を続けていたとしたら、この激流の中で夜も眠れない日々が続いていたはず。 事業から一歩退いてみると、
この断絶の大きさが更に鮮明に見えてくる。TV番組も、派手な内容のものは少ないようだ。
正月で特別なことと言えば、蔦屋で数年ぶりにDVDを一本借りて見た位。
  * 元旦の殿町で
 元旦は、例年、東京から帰省してきた次男夫婦と、長男と、私たち夫婦、合計5人で居酒屋での新年会が恒例になっている。
次男夫婦は地元の同級生と二次会とかで別行動。 今年は長男と殿町に行った。駅前は、居酒屋チェーン店が元旦でも営業を
しているが、さすが殿町は殆どの店が閉まっていた。その中で、一軒のスナックに入ったが、先客が二組み飲んでいたが、
危なそうな客。 一時間ほど経った頃、50歳頃の革ジャンを着たテキ屋か、ヤクザ風の客が私たちの隣に座った。 

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01月05日(土)
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