ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■4260, しまった! ー9
ー しまった! 「失敗の心理」を科学する ー ジョゼフ・T・ハリナン (著)
* 人は誰も人並み以上と思うもの
色いろな挫折体験から学んだことは、「自己能力の限界の設定」である。しかし、その設定さえも間違えてしまう。
それだけ、自分のことになると見えないのである。 若い女性の場合、これが極端に出る。若いだけで周囲が特別視するが、
それは束の間のこと。そこで若さを失うにつれ表面的な化粧や衣装で若く見せようとするが、その衣装と化粧代は膨大になる。
自分を人並み以上と思うのは、まだましで、特別な存在と信じて疑わないのが、あまりに多い。ーその辺りを抜粋し考えてみるー
≪ スポーツジムの会員は、自分が期待する回数の半分程度しか通っていない。大半は回数券の方が得なのに会員権を買っている。
統計からみると、月会員の八割ほどが、利用ごとの支払いにしておいた方が得という。 何故そうかというと、
「要するに自信過剰。自分が出来ると思っていることと、実際に出来ることを混同している」のである。その原因の一つに、
ジムに行かない理由を、何かのせいにすることが多い。そのため、フィードバックが効かなっている自覚が無くなってしまう。
同じような結果が、兵隊の射撃の予測と結果に現れている。大方の兵隊は射撃がうまいと思っているが、実際に射撃をすると、
大きな差が現れる。75%が予測より下で、25%以上が、あまりに下手で不合格の成績に終わっていた。気象予報官についても、
経営者についても、同じである。奇妙なことに課題が難くなる職業ほど、自信過剰のレベルが下がるのではなく上がる傾向にある。
困難が過大になるほど、自信過剰がもっと高まるのだ。・・・どうして、このような自信過剰過多の幻想が出てくるのかというと、
情報の持つ魔力、というのが答えである。情報を読めば読むほど、知識が増えたと勘違いをする。だが、実際には、そうとは
限らないのである。それは見聞ではなく、自信が増しただけ。情報化過多の落とし穴が、そこにある・・・ ≫
▼ 自信過剰自体は問題がないが、現実の自分に出会ったときに歪みが出て、それが他人の弱点を見つめ攻撃に向かった場合、
それは回りまわって自分に返ってくる。それが嫉妬や怒りに転化して怨恨になっていく。 だから不幸がついてまわる人には
近づかない方がよい。あるいは自分が不調な時節には、孤高を守るべきである。 不幸タイプの人は、必ず、その正体を現し、
恩をに仇にして返す。それを品性の低さというが、それが更に自らを貶めることに気づかない。「人並み以下の人ほど、
自分を並以上、いや特別な存在」と思うもの。だから、お世辞が人間関係の円滑油になる。逆にいえば、恵まれてない人ほど
注意し大事にしなくてはならないことになる。特に若い女性と青年と熟年には・・ そうすると自分を大事に扱わなければ。
・・・・・・・
3885, 平等と公平
2011年11月14日(月)
最近、平等と公平に対する議論を多く目にするが、その辺の哲学か理論があるはずと思っていた。
ところが、小川仁志著「人生をやり直す哲学」中で、ロールズの『正義論』が紹介されていた。
その概略というと、≪ ロールズは、ハーバード大の教授で、アリストテレス以来の政治哲学の復権を図った人物で、
その『正義論』は、その後の正義に関するあらゆる言説、あるいはリベラリズムの議論の機軸になったと言われている。
リベラリズムとは自由主義のことを言い、物事の価値の中立性をとなえる立場である。分かりやすく言うと、
「善に対して正の優先性」をとる立場である。 本来は平等など我われの世界には存在しない。全てが不平等である。
金持ちと貧乏人、才色兼備と、そうでない人など比較すれば全てが不平等に出来ている。情報化などで一強多弱が進むと、
その格差は社会的歪を生み出してくる。 そこで問題になるのが平等と公平の問題になってくる。それを克服するために
正議論が出てきている。 正義の二つの原理、すなわち「平等な自由の原理」と「機会均等」である。
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11月14日(水)
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