ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■4089, 老いの見本帳ーダークサイト −9
* 役割としての「年寄り」 「老いへの不安 歳を取りそこねる人たち 」春日 武彦 (著)
ここで、「老人と年寄の意味合いの差は、喧嘩の仲裁ができるかどうか」という。村の長老は、争い事の仲介者としての
役割が最も似合っている。若づくりをした粋な老人も良いが、何もかもしりつくした重みのある長老も良いものである。
≪ 【老人と年寄り】 老人という言葉には、老化現象の起きた人間とか老衰間近の人間といった印象を覚えてしまって、好きになれない。
老人ホームとか、老人病院といった具合に。それよりは「年寄り」といった呼称のほうが、経験や年輪を重んじている気配が感じられる。
相撲界でも年寄株は必ずしも高齢者が持つわけではないし、江戸時代の武家では役員待遇的な意味合いではなかったか。
長老、なんて尊称も最高齢者というよりは「年寄り」に近いニュアンスであろう。
わたし個人の勝手なイメージでは、年寄りとは喧嘩の仲裁ができる人である。「ここはひとつ、年寄りの顔に免じて堪えてくれんかのう」
と言えば、それで喧嘩している同士はしぶしぶ矛先を納める。立腹しつつも、どこか安堵した表情を浮かべながら。そんなふうに心の機微を
読み取り、また最後の最後に腰を上げる状況判断の確かさと、人生経験を重ねてきていることへの万人の敬意とかが、その場を収めるのである。
・・・ 六十歳を超えると急に「余りにも下世話な」妄想が突出するケースが散見されることは、既に第5章で触れた。その背景には、
若さから遠ざかったことへの無念さとともに、年寄りであることを受け入れるに足る価値感が高齢者に与えられていないことがあるだろう。
暴走老人などというものが出現したのも、老人であるという無力感や孤独感のみならず、年を重ねたという事実を劣化といった文脈でしか
認識しない世間への恨みが大きかったからだろう。 年長だからとそのことだけで威張るのも、あるいは落胆するのも問題だけれど、
年長者の顔を立てるといった世の中の「知恵」が通用しなくなっている。その辺りの軋みを是正するには、もはや老人が年寄りであることを
意識的に「演じる」ことから再スタートするしかないのではないか。
世の中が認めてくれるかどうかはさて置き、年寄りというキャラクターを、役割を、もっと意識してみてはどうなのか。そのキャラクターが
現今においては「カッコ悪い」といった了解があるから、年寄りであることを皆が演じたがらない。若く見える意外性ばかりを狙いたがる。
団塊の世代がこれから老人へと突入していく。どのような老人像を頭の隅に思い描きつつ年寄りになっていくのか。ジーンズやTシャツが
少なくとも外見的に旧来の老人とは違ったイメージをもたらすだろうし、家族のあり方も変化してきているのだから、過去の年寄りの姿が
そのまま手本にはなるまい。還暦に赤烏帽子と赤いちゃんちゃんこを贈られていた頃とは時代が違う。≫
▼「あえて自分らしい年寄りを演じてみることで、配役として全うしてみることを楽しんでみればベスト、人生など所詮は
座興に過ぎないのだから」という著者の言葉が説得力がある。清濁併せ飲む老人を演じるのも面白いが・・・どうも、クソ真面目は?
年寄りは、目立たないことだ。団塊の世代の年寄が、目立ち始めてきた。だから海外旅行者の数が不景気にかかわらず減らない。
彼らは「皆んなで渡れば怖くない世代」である。兄弟、友人も皆んな年寄りになっていくため、無力感や孤独感は少なくて済む。
・・・・・・・
3723, ジャズについて −15
2011年06月05日(日)
* 日本のジャズはどうなっている ? ー 「音楽の本」三枝成彰著 より
【 二十世紀初頭にアメリカに生まれたジャズが日本に入ってきたのは、明治から大正に入り、第一次世界大戦が勃発した頃だ。
当時は社交ダンスが華やかなりし時期で、ダンス音楽として輸入されたのである。 一九三〇年代にもなると、東京を中心に
ダンス・ホールがお目見えし、日本人によるバンド演奏も行なわれるなど、第一次ジャズ・ブームが起こる。わが国最初の本格的な
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06月05日(火)
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