ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■4084, 老いの見本帳ーダークサイト −6
* 孤島としての老い 「老いへの不安 歳を取りそこねる人たち 」春日 武彦 (著)
≪ それにしても、独りぼっちになってしまった「おじいさん」の孤独感とは、どれほど辛いものであったのだろうか。
気まずさ、寂しさ、自己嫌悪、そのようなものに苛まれつつ彼は残りの入生を送っていかねばならなかっただろう。
どうしてそんな目に遭わねばならないのか。 基本的に、世の中は弱り目に崇り目、弱者はそのことでなお追い詰められ、
不幸は不幸を呼び寄せるーそのような意地の悪い仕組みになっているといった認識がわたしにはある。すくなくとも医師として
様々な形の不運や不幸を見てくると、今述べたような感想を抱かずにはいられない。不遇であることは、それを帳消しにするような
出来事が不意に訪れる可能性よりは、なおさら足を引っ張るような「思いも掛けない無情なエピソード」に絡め取られる危険のほうが
遥かに高い。 だからわたしは負けたり失敗したりすることが嫌なのである。たとえ些細な敗北や過ちであろうと、それが運命に
「付け入る隙」を与えることになりそうで怖いのである(おかげで人生は疲れることこの上ない)。そして老いることもまた、
悪意に満ちた運命が付け入る隙のひとつとなり得るように思われて、意気消沈してしまうのである。しょぼくれた老人であれば
それに相応しい不遇が訪れるであろうし、無理に若さに執着するような老人にはそれを嘲笑するかのような不幸が駆け寄ってきそうな
気がしてならないのである。 ・・・老いを孤島になぞらえることは適切なのだろうか。いや、人間は誰もが孤島のような存在だと
主張することもできよう。だがおじいさんとおばあさんの二人暮らしなどを見ると、あたかも融合してひとつの島であるように映りつつも、
潮の干満によっていつの間にか二つの別々の島になっていたりするものである。その微妙な加減が興味深い。いつしか片方の島は水没し、
まさに絶海の孤島となってしまったとき、むしろ老女のほうが淡々としかし粘り強く生きていくようである。「ええなあ」とのんびりした
口調で羨んでみたり、妄想に生きてみたり超然としたり、とにかく生き抜いていく。老女の独り暮らしというものには、
わたしが漠然と思っている以上に精神の働きの多様性が示されているらしい。≫
▼ 老い、弱り目になると、祟り目が嫌でも待ち構えている。それなら、一日一生の思ひで、一日を消化するしかない。
だから何ごとも一期一会ので生きるしかない。 最近特に気まずさ、自己嫌悪が強くなってきている。問題は、その毒を貯めないよう、
日ごと処理しなければならない。現在、一日三時間の運動と、TVやシネマで映画を一本はみている。それでもフラッシュのように、
色いろの後悔する記憶が次々と浮かんでくる。なる程、老化とはこういうことなのである。孤立というより、孤島にただ独りという
実感が老いの寂しさになるだろう。生まれてくるときも、死ぬときも、ただ一人。 まだ背後から死が追いかけてくるような感覚が、
あと数年もしないうちに、目の前から死がジワジワと忍び寄ってくる感覚になってくる。 それにしても暗い顔をした老人が多い。
・・・・・・
2011年05月31日(火)
3718, 閑話小題
△ 現時点の関東大震災と、今回の震災の比較は?
現時点でみて、1923年の関東大震災と、今回の大震災、どちらが日本にとって打撃が大きいのだろうか?
関東大震災は東京が、二次災害の火災で10数万人が亡くなった。死者の数は、あまりに多かったため、混乱が生じて、
確かな数値は、推定しかないようだ。首都東京が壊滅的にやられたのだから、大打撃だったはず。
更に、その数年後には世界恐慌にも巻き込まれている。 今回はまだ原発の事故が収束に至ってない。
今後どれほど日本にとって大きな影響をもたらすか、まだ未知数。 したがって関東大震災ほどでないとは、いいきれない。
首都圏に近い上に、本州壊滅の可能性も充分にある。失われた20年という長期的不況に見舞われ、その上にリーマンショックである。
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05月31日(木)
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