ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■4030, 一時停止  ー谷川俊太郎ー自選散文
        「一時停止」 谷川俊太郎ー自選散文ー1955〜2010
 
 図書館で借りてきたが、直ぐにアマゾンで購入した。谷川俊太郎の詩集や特集の雑誌を何冊か、読んできた。
その散文集なら面白くないわけがない。谷川の詩も文章も、ストンと心に落ちて振動する。青年期に、谷川の著書を読んでいたら、
人生は変わってはず。 言葉を仕事にしている詩人の書いた文章は、分かりやすい。読み手の目線を常に意識しているためだ。
  * 「青年という獣」1957年 ーより
≪・・生きているということと、生活しているということとの相違をもっともてっと早やく云えば、前者を非人間的、後者を人間的と云って
 差しつかいないだろうとぼくは思う。生きるとは、コスモスの中に生きることだが、生活するとは、人間の社会の中に生きることだ。
現代ではこの違いを理解する人は少ない。下手をすると、コスモスなどという言葉は野暮な言葉で、悪くすると危険な言葉にされかねない。
青年は意識的、無意識的にかかわらず、これに抗議する。青年は生きようとするものであつて、生活しようとするものではない。
一見如何にソシアルに見える彼の行為も、その意味では本当にソシアルになり得ないものだとぼくは思う。何故なら、人間以外のものに
なることを、いやいやながらでもあきらめてこそ、始めて人は人間になれるものだからだ。人間は生活という唯一の現実によって人間になる。
青年は生活以外のすべての夢によって青年になる。青年は人間である必要はないのだ。彼は自分の夢を喰って生きる位の非人間的な強さを
もつていなければならぬ。倦怠はおそかれはやかれ彼を襲うのだ。その前に彼の肉体がまだ新しいうちに、青年は彼の役割を果さねばならぬ。
ビリイ・ザ・キッドは若かつた。彼は太陽や風や、残酷な青空や、愛らしい女を知つていた。彼はコスモスとその中の生命とに気づいていた。
彼は人間や、その生活などを知りはしなかった。彼が強かつたのはそのためだ。彼は死のもつ非人間的な意味だけに気づいていた。
死のもつ人間的な意味などに気をとられなかつた。彼の手が震えなかつたのはそのためだ。そのためにこそ、彼は人間としても偉かつた。
彼は人間を代表して、コスモスの真只中に立つてひるまなかつた。彼は人聞を殺すことで、コスモスと戦つたのだ。≫
▼ 創業は、全く経験のない思い込みの未知の生命体を創り上げること。それは「生きる」分野にある。それは創業という獣的行為になる。
 生活のためであっても、それを創るには人間性を、普通の生活者の考えを、根こそぎ捨ててかからなければならない。 ここで、
「青年は生活以外のすべての夢によって青年になる。青年は人間である必要はないのだ。彼は自分の夢を喰って生きるくらいの 
非人間的な強さをもつていなければならぬ。倦怠はおそかれはやかれ彼を襲うのだ。その前に彼の肉体がまだ新しいうちに、青年は
彼の役割を果さねばならぬ。」とある。新たな事業を始めよう決心した瞬間から、非人間的になる。獣にならなくては創業など不可能。
何時の間に獣から普通の生活者になっていた。地元の生活者の中の創業は獣の姿を曝すことになる。 本当の生活者になるのは、これから。 
  ・・・・・・
3664, 閑話小題
2011年04月07日(木)
  * 駅やSC内のATMが閉鎖は
 今だに駅やSC内のATMが節電を名目に閉鎖されたままである。これは間接的、現金引き出しの窓口規制そのもの。
支店、営業所内のATMは開かれているが数は僅か、不便そのもの。経済的側面からみたら、大震災と原発事故全体を
大地震とすると、大津波は本格的経済恐慌で襲いくる。電力と節約の呼びかけは、消費を冷やす効果は充分にある。
  * スポーツクラブだけは盛況
 家内がスポーツクラブに10年以上も行っているので、同行してみた。
驚いたのは平日の午前に関わらず、中高年の人たちで満杯だったこと。100人位に人たちがマシーンと共に
無言でひたすら運動していたことである。雰囲気は開放的で明るい。分かっていたら、前から通っていただろう。

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04月07日(土)
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