ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■3700, ジャズについて −1
ジャズ1000曲がパソコンに入ったため、常にBGMとしてジャズを聴こえてくる。
これに慣れると、もう無しにはいられないから不思議。 そこで、ジャズとは、そもそも何?と知りたくなって
本棚をみると、三枝成彰著「音楽の本」があった。そこに丁度、私が知りたいことが、そのまま書いてあった。 面白いものである。
【 「黒人の民族音楽と白人のヨーロッパ音楽とが融合し、その結果、黒人を中心としたブラスバンドから生まれたポピュラーミュージック」
「遅れて拍子を打つ黒人独特のバック・ビート(四拍子の一拍目、三拍目におくアクセントを二拍目・四拍子目にずらして演奏する)を
リズムに持ち、即興演奏を生命とする音楽」 ジャズという音楽を簡単に説明すれば、こういうことになるであろう。
さて、そのジャズは二十世紀の初頭、アメリカ南部の港町ニューオリンズで生まれるのだが、ここは十九世紀はじめにアメリカが
購入するまで、スペインとフランスが交互に統治していた地域だ。そこには、フランスやスペインの白人と、西アフリカをルーツとする
奴隷として連れてこられた黒人、そして、その混血である「クレオール」が生活していた。
クレオールはおしなべて教育水準が高く、ヨーロッパに留学をしたり、ビジネスで成功するなど、ニューオリンズではエリート層に
入っていた。ところが南北戦争を受けて奴隷を解放せざるを得なくなった南部白人層の不満は、黒人ばかりかクレオ一ルへも向けられ、
クレオールも人種差別の対象となる。
一方、ニューオリンズの黒人たちは、奴隷解放後、主に音楽に仕事を求めた。南北戦争に敗れた南軍軍楽隊の楽器を古道具屋で
安く手に入れた彼らは、祝祭パレードや葬儀の行進などで演奏するブラスバンドとして活躍。とりわけ、葬儀の際のブラスバンド行進は、
ニューオリンズ名物として伝説化されている。埋葬へ向かうときには悲しげな曲を、墓地から戻るときには死者の魂が天国に
迎えられるように明るい曲を。ジャズ史上最も有名な曲の一つである「聖者の行進」は、そんな時代に生まれた曲だ。
こうしたブラスバンドには、どのグループにも何人かのクレオールがいた。白人社会から締め出された彼らは、同じ被差別層である
黒人たちと一緒に仕事を始めたのである。
クラシック音楽の素養があるクレオールは、楽譜の読めない黒人に西洋音楽の技法の手ほどきをする。 黒人はアフリカの祖先から
脈々と受け継がれている生来のリズム感覚を持っていた。それが融合し、ジャズの生まれる下地ができあがったのである。
「ニューオリンズ(ディキシーランド)−>スウィングー>ビパップー>クールー>ハード・バップー>フリー」
これがクラシックの歴史を振り返ると「バロックー>古典ー>ロマンー>近・現代」といった流れで見るように、誕生から
百年を経過したジャズのスタイルの変遷も、こうした流れで見るのは一般だ。 】
▼「ニューオリオンズ」という地域と「黒人」、そして「クレオール」という人種に行き着くのである。
20世紀の初めの頃、怪しげな下町の酒場で、即興として、古道具屋から安く手にいれた黒人たちがバック・ビートのリズムで始った。
あのアルカポネの時代に全米に、それが瞬く間に広がっていった。やはり、その背景を知っているといないとでは・・
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3335, 閑話小題 ーつれづれなるままに
2010年05月13日(木)
* ゴールデンウィークの異変と、連休明けの異変
このゴールデンウィーク、道路も街も賑っていたが、この5〜6年で様変わりをした。
10年前までは車の旅行客が夕方になると殺到していたのが、ピーク3日間でギリギリ満室か9割がやっと。
それも高校の剣道大会とかバスケットの大会がベースで一棟埋まっていた上で、これである。
不景気もあり消費者が合理的になったのである。 その行動パターンのケースとして
・連休の間に日帰りを二回するとか、一泊で四国まで行って来たとか、高速道路の料金千円をフルに利用するもの。
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05月13日(金)
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