ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■3695, 自己を見つめる −17
         「自己を見つめる 」 渡邊二郎 (著)
 還暦もとうに過ぎ、更に65歳になったとたん、事業は、これ。 それは本格的な老いへの第一歩を踏み込んだ現象だろう。
歳には勝てない現実が誰にも待っている。それに対し抵抗を諦め、従うしかない。それが老いと著者はいう。
そして、それが恵まれた状態で向えようが、悲惨な状態であろうが、直ぐにやってくる死を前にすれば、
誰も彼も大して変わらないことは、今更言うまでもない。それぞれの年齢の老いの景色は変わっていくが、
殺風景になっていく経験も辛いものがある。しかし、それでも、生きているだけでも有り難いと思えるうちは良いが。
  * 老いについて ー①    −P262
【 老いは、端的に言って、心身の変化や不調、障害や不全、病気や悩、生計の面での困難や窮迫、人間関係における亀裂や別離、
忘恩や裏切り、さらには長年の人生遍歴における事故や災害、対立や紛争などの側面の出現といった、ありとあらゆる不幸な事態の
顕在化という姿を取って、人生の暗い側面を表す顛末の様相を帯びながら迫ってくる傾向が強い。もちろん、明るく幸せな老年という
ものも存在するであろう。 けれども、老いは、もともと死の予感とも結びついて、悲惨な様相の影を本質的に内在させている。
老いは、総じて、誰もがそこから眼を背けたがる暗黒の象徴を含むものとして受け取られる面を含んだ現象であることは否定する
ことができない。 実際、ショーペンハウアーも指摘したように、年を取って、生計に困り、病気がちとなったら、その人の晩年が
暗いものとなるのは必定である。したがって、誰もが、早くから、その点に留意して、自分を守る必要がある。
しかし、いくら用意周到を心掛けても、予測しえない出来事の起きるのが人生である。 老いと高齢化の行く手は、誰にも
予測することができない。むろん、老いとともに円熟する人生というものも考えられる。しかし、人間は、受肉した自分自身を、
自分自身の思いどおりに、させたり、若返らせたり、あるいは好きな姿で老化させたり、終わらせたりすることはできない。
自己の自然的かつ社会的な存在のうちには、自分の思いどおりにならないもの、いわば自己の根源的受動性が潜んでいる。
自己は、自己を越えた宿命の定め委ねられた側面を、その根底に抱えている。 いかに自発性に富み、能動的で、いわゆる勝ち気で、
理性的な人といえども、自分の老化と死を、自分の思いのままに支配することはできない。 人は、老化と死の歩みを停止させる
ことはできない。それどころか、老化し、瀕死の身となった自分自身を自己は、自分で処置することもできず、
そこでは自己の能力の限界に突き当たってしまう。】
 ー
 定年などを切欠に、職を終える時期に、人は、老いの段階に入ったと認識させられる。特に定年制は、まだ活力のある逸材を含めて、
一律に世の中から排除する一種の姥捨てとして、世代交代の作用にもなる。姥捨ても見方の一つだが、現実には山中で悲観にくれる
のも辛い。 二人称である親族、知人などの最期を傍でみていても、壮絶である。そこに向かって一日一日が歩みだした自覚を
持ったとき、本当の老いが始るのである。 起承転結でなく、起承転々というが、これが難しいはず。老いと向き合う時期に入ったか。
 ・・・・・・
3330, スモールハッピネスの「少年ジャンプ世代」
2010年05月08日(土)
 「知の衰退」からいかに脱出するか? ー大前研一 (著) −3
   * スモールハッピネスの「少年ジャンプ世代」
 いまの日本を語る上で、以下のように著者独自の観点で世代を分けている。
≪ 偏差値の次に指摘するのが「少年ジャンプ世代」である。この世代は「偏差値世代」より、さらに考えることが出来ない世代。
 彼らが育った1980年代後半は、「少年ジャンプ」が部数的に大飛躍した時代で、1990年に入ると、実に600万冊以上も売れた。
 その「少年ジャンプ」で描かれるのは、編集方針である「努力・友情・勝利」という、3つの要素の入った物語。

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05月08日(日)
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