ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■3681, 逆説を考える
考えるときの一つに、正反対の説を立てる方法がある。
「逆も真である」を試してみると、考え方の幅が広がってくる。 とはいえ、逆説を正面から考えたことはなかったので、
その意味を取り上げてみる。 学生時代のゼミの教授が、中根千恵の「日本社会は縦社会=蛸壺社会」という説に対し、
「横社会=資格社会」という説を立てられた。「日本社会には武家社会の影響が残っており、殿様、家老、家臣、家では家長、
嫁、婿、長男、末っ子、という資格社会ではないか。蛸壺というが、どの世界でも、その資格で評価されるではないか?」
という逆説に驚いてしまった。 それを切欠に、逆照射の見方を常に持つようになった。
ーYahoo辞書によると、 ー逆説とはー
1 一見、真理にそむいているようにみえて、実は一面の真理を言い表している表現。「急がば回れ」など。
2 ある命題から正しい推論によって導き出されているようにみえながら、結論で矛盾をはらむ命題。 逆理。 パラドックス。
3 事実に反する結論であるにもかかわらず、それを導く論理的過程のうちに、その結論に反対する論拠を容易に示しがたい論法。
ゼノンの逆説が有名。逆理。パラドックス。
ー広辞苑」によると
「衆人の予想に反した、一般に真理と認められる説。また、真理に反しているように見えるがよく吟味すれば真理である説」。
逆説といえばマックスウェーバー著の『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』。
資本主義といえば「自分の利益の為に利益を追求する」ことだが、マックスウェーバーは資本主義は「プロテスタント」は
「禁欲」「勤勉」の基本理念から出発したと主張。「禁欲」を目的とした「プロテスタンティズム」は「勤勉さ」を旨とする
「合理的」生活態度を形成した結果、「計画的・合理的」に企業経営を行おうとする精神が形成されたという、逆説は
資本主義社会の大きな精神的支柱になった。
ーー
「逆も真なり」という諺が昔から日本にあったが、両者とも成立する確信で考える入口になればよい。
考えるための一番の近道だが、正論を把握した後でないと単なる歪みになってしまう。
・・・・・・・
3316, 人みな骨になるならば ー11
2010年04月24日(土)
* 神とは ?
虚無主義の著者の宗教観がシビア。 この辺が、明るい乾いた虚無主義者の真骨頂である。
大方の人は、以下の論に近いのだろう。 アブラハムがつくりあげた超越的存在の神、そしてユダヤ教、
キリスト教、イスラム教の内輪もめ。 これが、現在の世界の宗教戦争を引き起こしている。
ーまずは、その部分を抜粋してみるー
神という言葉を使うと近代以後の知識人は懐疑的になったり警戒したりするものだが、それは「神」という概念の内包(意味)
に関して伝統的なイメージをひきずっているためである。もともと「神」などという超越的観念は、それを思っている人によって
勝手にイメージされてきた。 中世の農夫にとっては雲の上にいる白髭の老人であり、現代的な信者にとっては、
「宇宙に偏在する、形のあいまいな意志そのもの」である。 どこかの原住民にとっては自分と同じような腰蓑を
つけているオッサンかもしれない。 このように、信者たちが各自勝手に想像しているのが絶対者なのだ。
ある意味で、このような多義的になんとでも解釈できる教義を備えていない宗教は、レベルもニーズも様々な多数の信者を
引き寄せることができないらしい。 だから近代以降のインテリたちは、神を否定したがる。
確かに、そんなシロモノは実在しそうもない。 ただ、そうした多様なイメージのむこうに共通項として
「それ以上の審級が存在しないような超越的かつ絶対の存在にして運命の決定者」を想定することはできるだろう。
それが人間臭い愛や怒りや嫉妬や気まぐれをもつかどうかは、各信者の想像力の限界を示すだけである。
むしろ、その人間の程度を知りたければ、その人物が信じている神の特徴を教えてもらえばよい。
神のイメージは、たいていその信者の願望と恐れを投影したものだからである。
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04月24日(日)
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