ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■3548, 遊ぶように生きる
=横尾忠則の、ある雑誌にあった「死を想う〜人生の一考察」が面白い!
その一部を抜粋してみる=
【 一体人生とは何なんだ。お釈迦様は生老病死と言われた。確かに上手いことを言う人だ。
大抵の人間はこの四文字を経験する。お釈迦様みたいなエライ人でも、このことだけはぼくと平等である。
エライから死なないということはない。エライ人でもアカン人でも全員がこのフルコースを味わうことになっている。
だったらぼくひとりが死を恐れるのはおかしいけれど死だけは自分にとって特別のもののように思っていて、
他人の死は死でないのである。では一体何をそれほどまで恐れなければならないのだろう。死の到来が苦痛であることを
われわれは知っているが、死以上の苦痛がないのかといわれればそんなことはない。じゃ何がそんなに怖いのか。
死によって愛する人や物と別れなければならないからか。それとも死によって自分が消滅してしまうからか。
消滅すれば全ての煩悩も瞬時に失くなり、身心的な苦痛から解放され、これこそ真の平和なんじゃないのか、
なのにどうして真の乎和をそんなに恐れるのか。それとも死後生を信じているあまり、もしかしたら地獄に堕とされる
のじゃないかと不安に襲われているためなのか。 それはそうと、では人生の目的は何なのかということになる。
生きるため? 死ぬため? 感動するため? 美味い物を食べるため? 金持ちになるため? 美人の奥様を持つため? etc
そこでぼくは考えた。ぼくの職業のアートと同じ生き方をすれば? と。ぼくにとってアートは仕事というより遊びだ。
目的のない遊びである。ところで遊びって最初から目的がないものでしょう。 もし目的があるとすれば遊んでいること
自体が目的である。 目的がないから自由があり、快楽があり、解放があるのではないだろうか。人間は本能的に自由を希求する。
そしたら人生全部を遊びにすればいいのではないか。つまり人生から目的をはずしてしまえばいいのではないだろうか。
生きることも死ぬことも目的を持つからシンドイのである。どうせ生老病死なんだ。生老病死は別に目的ではない。単なる現象だ。
そしてお釈迦様に言わせれば現象は夢、幻だということになる。 そんな実体のないものにいかにも
実体があるかのように思って振り廻されているのなら、それを遊びだと思えばいいのではないか。 】
ー人生に意味などないと、五木寛之も書いているが、意味=価値とすると、そんなわけがない!と言いたくもなる。
身近の人の死をみると、様々の人生があるが、意味など、あまり深く考えても仕方がないような気がする。
横尾のように、目的ない人生なら遊ぶとして、割り切るのも良いだろう。「遊びをせんと生まれけり」で、それはそれで。
・・・・・・・
3173, 閑話小題
2009年12月12日(土)
* 腰痛
腰痛が、この季節の変わり目にかかわらず、今のところ落ちついている。
いずれ出てくるのだろうが・・・。 今のところ考えられるのは、・ベッドに低反発マットを敷いたことと、
・海老反りマシーンを毎朝晩使っていることである。・それと外で酒を飲む機会が少なくなったこともある?
もちろん、20数年来の毎朝のウォーキングは欠かさず行っている。
* 変な話
家内が言うには、「駅裏の越後交通ビル(元ダイエー跡)の駐輪場に自転車を置いて、用を済ませて帰ろうとしたところ、
自転車の籠の中に、年代ものの女物の財布があった。 気持ちが悪かったが、駅前の警察まで行くのも面倒なので、
1Fの酒売場に事情を話して置いてきた。 千円札が数枚と小銭が見えたが、それ以上は見ないようにした。
しかし住所を聞こうとしなかった」という。 それに対して「住所を聞かないのは、こういう御時勢。下手に聞くと
苦情を言われるからじゃないか」と答えたが・・。 で、何で、置いたのだろうか?
(字数制限のためカット 2010年12月12日)
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2808, 心を込めずに女を褒めよ !
2008年12月12日(金)
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