ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■3326, 人みな骨になるならば ー12
この著書は、蓮如上人の「白骨の御文章」と「般若心教」の視点から、当たり前と信じている日常の思い込みを
一つずつ取上げ、その根拠を潰している。 何かにとらわれり、行きづまった時に、この書は、それが如何に
取るに足らないことかを諭してくれる。 葬式や法事で参列者全員がこの「白骨の御文章」を読経することがある。
死を第三者でなく、自分に当てはめて考えさせるためである。 そこで改めてネットで検索して、コピーしてみた。
ー蓮如上人の「白骨の御文章」ー
≪ それ、人間の浮生なる相(すがた)をつらつら観ずるに、凡そはかなきものは、この世の始中終、幻の如くなる一期なり。
されば未だ万歳の人身を受けたりという事を聞かず。 一生過ぎ易し。今に至りて、誰か百年の形体を保つべきや。
我や先、人や先、今日をも知らず、明日とも知らず、おくれ先だつ人は、本の雫・末の露よりも繁しといえり。
されば、朝(あした)には紅顔ありて、夕には白骨となれる身なり。
既に無常の風来りぬれば、すなわち二つの眼たちまちに閉じ、一の息ながく絶えぬれば、紅顔むなしく変じて
李の装を失いぬるときは、六親・眷属集りて歎き悲しめども、更にその甲斐あるべからず。
さてしもあるべき事ならねばとて、野外に送りて夜半の煙と為し果てぬれば、ただ白骨のみぞ残れり。
あわれというも中々おろかなり。 されば、人間のはかなき事は老少不定のさかいなれば、誰の人も、
はやく後生の一大事を心にかけて、阿弥陀仏を深くたのみまいらせて、念仏申すべきものなり。≫
ー以上だが、父の生前の口ぐせ、「死んでしまえば(生きている方からすれば)それまでよ!」である。
あるのは、いま、ここ、だけである。過去の、あの時も、現在も、「いま、ここ」しかない。 一期一会である。
それぞれが、いま、ここ、で生きている。そして、それも、確かに存在していると感じるが、実は幻想。
自分の感覚という器官が能作しているだけである。 夢・幻でしかないのである。 で、確認で酒を飲む、のか!
・・・・・・・・
2951,人はどうしてオヤジになるか? −2
2009年05月04日(月)
* 女はどうしてオバサンになるか?
「人はどうしてオヤジになるか?」というなら「女はどうしてオバサンになるか?」を考えてみたくなる。
ーそれではオバサンとは、どういう人なのだろか?ー
《30代後半から40歳前後の大きな境目として、女を捨てると同時に恥じらいを捨て「怖いものがなくなった」
存在で、特に徒党を組むと非社会性が露出する。 お婆ちゃんといわれる前に、それまで内に圧縮されていた
エネルギーが非社会的行為として露出する歪んだ「突然変異の一時的生きもの」である。
彼女?を見ようと思ったら、デパ地下とか、ホテルのランチバイキングに行くと徒党を組んだ姿が見られる》
ところで、秘境旅行に行くと、必ずといってよいほど「離れオバサン」が参加している。
これが恐ろしい存在である。具体的に書くのを憚るほど唯我独善。 今回は、そこまでは書かないでおく。
逆に40歳前後までに、女としても人間としても自分を見つめ、「個」としての自分を確立し、責任を持って生き、
自信に満ちた態度を持てる女性を「マダム」という。 それに対しオバサンは自己管理ができないで、
集団化した第三の性化した存在をいう。そうこう見ると、オジサンとオバサンは似ている部分がある。
自分が確立できない哀れな存在で、孤独に耐え切れず、周囲の顔色だけを窺っているところが同じ。
そうもこうも、教養を積んできたかどうかに行き当たるが。その教養とやらも、どうみるかにある。
「で、どうしてオバサン化してしまうのか?」というと、長年の教養の積み重ねをしてない結果の品性の無さが
具現化した姿を言うのだから、ただ現象に流されていれば自然とオバサン化していくのである。
早く、好きなことを見つけて教養として身につけるしかない。 幻想論からみると、品性のあるマダムという
自己幻想を常に意識をして、知識と外見を整えることである。「女を捨てるなというけどね〜、私の魅力を認めてくれる
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05月04日(火)
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