ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■3293, 人みな骨になるならば ー9
* なぜ簡単に(エゴ)捨てられないのか
「なぜ簡単に人間はエゴを捨てられないのか」が、理路整然と書かれている。
ー まずは、その部分を抜粋して考えてみる ー
試みに、街を歩きながらエゴの武装解除をしていき、「すべてはブラフマンの現われである。あの広告塔も、
こなたの酔っ払いも、私と同根のものだと実感する修行を続けてみるがよい。 その結果、わかることは、
目の前にある山川草木、鳥獣虫魚はもちろんのこと広告塔や塵芥とさえ、つながっている感覚をわずかに
持つことができる。一番難しいのは、むしろ他の人間と通底しているという実感である。これは予想外のことだ。
人間は他の人間との差異に対して最も敏感である。 もちろん修行などしなくても、抽象的な「人類」や
「同国民」と連帯しているような感覚を持つことができる。 われわれはスローガンとしての連帯や仲間意識は
大好きなのである。しかし、通底体験というのは、そうした観念上のものではなく、目の前の太ったオバちゃん、
向こうからやってくるダラシない若者との瞑想的な一体感なのである。 これが実は難しい。
このことは、おそらく自我の意識というものが、主として社会集団において自己と他の具体的な成員と
区別をするために発生したのではないかと疑わせる。人間らしさの殆んどの特質が、他の人間との生存競争を
通じて進化してきたと主張する学者が多い。 人の容姿はもとより言語や知略も、たぶんサーベルタイガーや
マンモス相手に開発されたものではない。 異性や仲間との付き合い上、是非とも必要だったのだろう。
自我もまた水辺やサバンナでの生計とか氷河期の気候とかに適応するためでなく、狡猾な同族であるヒト相手の
社会生活を生き抜くために必要だったからだ。
ーー
映画の「2012」でも、世界の滅亡に、世界各国が協力しあう場面が、これを読んで浮かんできた。
人の差異は、外敵に対してでなく、社会集団における自己と他者との生存競争を通じて進化してきた!というのが、
鋭い指摘である。 40年前の学生闘争の嵐の中で、田舎出の教条主義の「あれ等」は、同じ方向の分派達との
争いの方が、残酷な死闘になっていった。 殺人の過半数以上が家庭・親族という事実と同じである。
人間の遺伝子の性格は利己主義という。 それを抑えるのではなく、他者の迷惑にならないようにすることと、
社会の有益な何かに向けることが、人から人間になることだろうが、それは建前と割り切るのではなく、
エゴを野獣、いや野性と看做し、コントロールすることが教養か? 酒を飲むと、それがね〜 鵺?
・・・・・・・・
2918,「無趣味のすすめ」という問題提起 ー1
2009年04月01日(水)
新聞広告のー「無趣味のすすめ」村上龍著ーの説明文である。
ーわたしは趣味を持っていない。小説はもちろん、映画製作も、キューバ音楽のプロデュースも、
メールマガジンの編集発行も、金銭のやりとりや契約や批判が発生する「仕事」だ。
趣味の世界には、自分を脅かすものがない代わりに、人生を揺るがすような出会いも発見もない。
心を震わせ、精神をエクスパンドするような、失望も歓喜も興奮もない。 真の達成感や充実感は、
多大なコストと危機感を伴った作業の中にあり、常に失意や絶望と隣り合わせに存在している。
つまり、それらはわたしたちの「仕事」の中にしかない。
ー 思い切った問題提起である。
「人生は仕事だけではない」ことは今さらだが、中途半端な仕事をしながら、趣味の世界に生きる人間に対する一撃。
しかし仕事一筋できた男が挫折した時に、趣味の世界を持っていたために救われることがある。
仕事のできる男ほど、それと同じぐらいの趣味の世界を持っていて それが仕事をプラスへ導く。
しかし、仕事を達成するには多大なコストと危険を伴い、常に失意や絶望という底知れない荒海が舟板一枚下にある。
趣味だ娯楽など、余所見をしている暇などないのも事実。 読書を趣味としてきたものにとって、いや酒が好きで
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04月01日(木)
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