ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■3224, 地球を通り過ぎる
2000年前後、6年間、朝日新聞に連載されていた「一語一会」の随想集の中にあったもの。
なかなか、含蓄のある随想である。 地球環境破壊に対する問題提議にもなっている。
この人の写真集を持っているが、なかなかよい。
* ー地球を通り過ぎるー 長倉洋海 写真家
「鳥のように静かに地上に降り立ち、やがて静かに飛び去っていく。 それが私たちインディオの生き方。
人は地球を傷つけることなく、通り過ぎることができる」。 ブラジルを共に旅したアユトンの言葉だ。
アマゾン先住民を取材しようと訪れたブラジルで、出会ったのがクレナック族のアユトン。
彼は「開発」で故郷を追われ、都市の建設労働者などを経て、インディオの権利回復運動で活躍した。が、大切なのは
子孫に残すべき文化だと気づき、今は各地のインディオの村々を訪れ、経済的自立と伝統文化の復興に力を注いでいる。
アユトンとの旅は楽しかった。彼は森に入る時に、森の女王サマ・ウーマの巨木に語りかけて許しを乞う。
動物の鳴き声をまねてはみんなを笑わせ、万物の存在をユーモラスに詩にして吟じる。
舟をこぎ、森を抜ける行程はきつかったが、彼は森の精に力をもらうのか人一倍、元気だった。
ヤノマミ族の村を訪れた時には、半裸になり、二人で踊りの輪に入った。
両隣の人と手をつなぐと、ぬくもりばかりか心臓の鼓動までドクドクと伝わってくる。
カシナワ族の村に滞在した時は、別れ際、族長に「こんな寂しい思いをするなら、最初から来てくれない方が良かった」と言われた。
モノではなく、人との出会いを何より大事にする姿に胸が熱くなった。「人は何もしないために存在していてもいいじゃないか。
生きていること自体が素晴らしい贈り物だから」とアユトン。インディオの家も舟も、衣類や薬も、すべて自然から生まれ、
そこに還っていく。 人の生死も同じだ。世紀末やら千年紀やらと浮足立っている我々と対照的に、
祖先から続く大きな流れにゆったりと身を任せ、烏のような生き方で地球を子孫たちに手渡す……。
アユトンとの旅は、私の中で挨をかぶり、眠っていた人間の素地を呼び覚ましてくれた。
――
還暦も過ぎ、60代半ば近くなり人生を振り返ると、あくせく生きてきた自分に疑問を持つようになる。
地元の中学校の同級生に、高校を出て地元の会社に勤め、そして倒産。更に勤めたところも倒産。
それでも、淡々と転職先で準社員として勤め、晴れて年金暮らしに入り、嬉しそうにしている無口の男が居る。
人を羨むようでもなく、ただ淡々と生きている。 時どき、土・日のアルバイト先の家電チェーンで見かける。
最近、彼のような自然体の静かな生き方も良いのではないかと、思えるようになってきた。
人は人、我は我、だが。
・・・・・・・・
2849, 「ほめる」言葉 − 3
2009年01月22日(木)
ネットで「褒め言葉」で検索をしたところー「二段ぼめ」が基本ーとあった。
一段目が、外見や仕事などに対する一般的なほめ方。二段目は、その長所から連想される内面をほめること。
ただネクタイの色柄をほめられるよりも、それを選んだ感性がステキと言われるほうが数段も嬉しい。
女性??が、ファッション服を買う時、彼女の頭には誰か友達に見せて褒められる場面を想定している。
何気なく着ていて『素敵!』と言われる場面である。 外国のブランドショップで買うときなど、
そこで日本より安く、いち早く買ったことを自慢したいのである。
ほめて欲しい方も、二段構造になっているのである。それなら二段ぼめをしないと。
「いいわね〜私も、その国に一度は言ってみたいの!」とか。 人間は優位に立ちたいのである。
嬉しそうな顔をして家内が言うには、
「ある店に行ったら偶然なのだろうが、女店員が持ってくる服が全て似合っているの。
女店員も調子に乗り次から次へと、試着させてくれた。外れは一着もなく至福の時間だった。」
幸せな人には幸せなことが起こるのである。買ってきたのを着てみせてくれたが似合っていた。
褒めるとは、互いに呼吸を合わせるということである。
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01月22日(金)
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