ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■3084,挫折を考えてみようか
 「挫折」については誰かが考えているはず、と調べたら、ヤスパーがいた。
ヤスパーは、挫折を「自己に目覚めるきっかけ」として捉え、自分自身を乗り越える機会とみる。
人間は日常の生活に明け暮れで生きているが、それでは真に生きていることにはならない。
なぜ己が世界に生きているかを問い、自分のあり方を求めることが生きる出発点になる。
ところが、それを真正直に守ると最後には挫折が待っている。 人は最期は死ぬのである。 
それを考えると生きている根拠がなくなり、行き着く先の挫折を「限界状況」とヤスパーはいう。 
色いろの挫折を重ね、最後に「死」が厳然と待っているのは、身近な死が我われに教えてくれる。
しかし死を含めた多くの苦悩を通して、人間は真の自己である実存を自覚し、そこから苦悩を乗り越える
「超越」への基盤となる。しかし人間は死の戦いや苦悩を、実存の最終的なあり方と受けとめることが出来ない。
本来は、愛、永遠、無垢に惹かれる存在だからである。  
 ヤスパーは、《 実存は苦悩のうちに挫折しつつ、指し示す絶対者=包括者へと超越することが要求される。
その超越が促すのが「暗号解読」である。 それは一種の象徴で、有限な現実の存在が自らを越えて
絶対なる超越を指し示すのである。 芸術、思想、自然、歴史など、そうした暗号によって、
それを包括者へと超越せよ、という指示として受け取るのが暗号解読である。 》と、挫折=限界状況の先の
アップスケールとして、自己に目覚めるきっかけとする。 人間が生まれ存在しているから挫折をするのである。
そして最後の挫折としての死を受け入れるプロセスが超越だったり、真に生きることであると指摘する。
人間は誰かに人生を代ってもらうことはできない。 限界状況をひとりで背負う、本質的に孤独な存在である。
だからこそ独りに閉じこもらず、自分の実存を他者に開示すべきとヤスパーはいう。
他者との交わりを通して、自分を振り返ることが、更に自分に近づくことになる。
実存に目覚めた人間同士の交わりを、「愛しながらの戦い」と呼んでいる。
 人生を振り返ると、挫折から多くのことを得た。 その時に、新約聖書や、大本教の本に救われた経験がある。
超越者から救われていたのである。40,50歳代の峠越えは秘境旅行で大自然に出会うことで超越していた。
私にとって、大自然の懐が「暗号解読」の場所であった。 更に、多くの都市の美術館の名画などの作品がである。 
「限界状況」の中に、そして、その向うの「超越」こそ、人間の生きている意味が隠されている。
挫折、そして苦悩こそ、人間を超越に運んでくれる。 そこで出会う感激・感動こそ超越状態である。
 
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2719, 嘘について
2008年09月14日(日)

社会に生きていくうえで、嘘をつかなければならない場面も往々にしてある。
その場その場で、ころころ変化する人物は直ぐに見抜かれて信用を失う。
「約束の時間を守るかどうか」で、まず評価されるのは、そこに言い訳と嘘が鮮明に出やすい。
後ろ向きの人は、言い訳から始る。そして小さな嘘を重ねる。
過去に何人かの長年行き来していた人と断交をしてきた。 その共通点が嘘が多い人である。
開いた口が塞がらないというほど、純朴に嘘をつく。 純朴を表面に見せて、次から次へと嘘を重ねる。
ある人を例に取ると「本人は嘘を言っていることに気づいてないだけ。 三歩ほど歩いたら全てを忘れる、
嘘など更々言っていない」のが真実。「私を信じて下さい」が、ある人物の口癖だが、そのことさえ自覚をしてない。
話を都合のよいように変えるのも、嘘の一歩手前の行為である。営業口で、きれいごとを並び立てているうちに
嘘の構築のプロセスを踏んでいることになる。考えてみたら、誰もが大同小異ではないか。他人のウソは見えても
自分のウソは気づかいないだけだ。所詮、世の中は全てが幻想、ウソも真実も大して変わらないではないか?
と嘯くこともできる。嘘も方便で嘘も相手を傷つけないように気遣う場面も必要である。

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09月14日(月)
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