ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■3064,階級社会だと! −3
 
 こういう話は大好きである。「石ころがね、その大きさやカタチを競ったって、少し離れてみれば砂利じゃないかい」
ということだ。だから、名刺に多くの肩書きを書いたり、ロータリー・クラブなどに入って特別な人間と思い込んで
いる可愛い人の優越感も、人間の性と割り切れば良いのだが。その生臭い人間が何とも愛おしいのである。これも揶揄か? 
「幼い頃より一流作品の絵画や音楽や大自然を可能な限り、シャワーのように浴びせることが、親の子供に対する
最大の勤めである」というが、これがハビトォスの骨格づくりになる。
クラシックの演奏会や美術館に家族で行くことは、家系としての文化資本が無ければ無理。
私など父親からは大相撲の地方巡業か、プロレスに連れて行ってもらったことしか記憶がない。
下町の魚屋一家で演奏会に連れ立っていくイメージが全くわかないのと同じである。
演奏会は山の手の家庭のイメージである。 家屋敷の佇まいでもハビトォスの匂いを嗅ぎ分けることができる。
 家柄とか学歴の良し悪しで全て決まるわけではない。 自分で意識して美術館に行って一流の絵画や彫刻をみてまわり、
音楽会に行って良い音楽を聴く習慣をつければ、その習慣行動(プラティーク)の積み重ねから、
それをつくり出しているハビトォスがつくられていく。 片方はハビトォスが崩壊し、片方はハビトォスが
カタチつくられてのを身近で見てきたからいえることだが。
 習慣とは、第二の天性。 良い習慣を幾つか積み重ねていけば、それが、その人の天性になる。
出世とやらを考えるなら、目指すポジションの習慣行動とハビトォスを作ることが近道になる。 
したがって偉人(例えばフランクリンなど)の伝記や、三国志や孫子の兵法などで学び、
良い習慣行動身に付ければ、その背後にあるハビトォスの構築になっていく。
「 力、愛、知 」が、人間力の構成要素なら、その一つの力は、男にとって必要欠くべからざる要素。
階級社会では、全身全霊で習慣行動をつくり上げるのは男として当然のこと。
しかし、一つの側面として割り切っていないと、そこで挫折をした時にハビトォス全体が破壊される。
 考えてみたら46回の秘・異郷ツアーの中には、ハビトォス構築の全てが含まれていた。
世界中の大自然の景観に魂の振動を経験し、美術館では世界的名画や彫刻に感動し、アルゼンチンタンゴや
スペインの闘牛や、フラメンコに呆然として見入り、アフリカの手づかずの動物に触れ、・・・等々、
  文化資本の蓄積は何にも変えがたい財産である。 
  そのわりに、自分自身に文化資本の蓄積が感じられないのは如何してか?
    幼少時の文化シャワーが足りなかったということ?!

 ・・・・・・・・・
2699, 「レンタルの思想」−5
2008年08月25日(月)

「宇宙の発展と文化の論理 」ー  鷲田清一×松井孝典

  *ここにないものと関わる能力

松井:  前回は、生物学者の長谷川真理子さんと対談しました。
 そのときの話では、現生人類には抽象概念が生まれた契機の一つが、喉の構造の変化です。
 逸れによって、文節性の高い言語を獲得できたということです。その御蔭で目の前に起こってない現象でも、
 抽象化して相手に伝えることができ、知恵の伝達が可能になるということでした。
 つまり人類がいまのような生き方をするうえで重要な要素として、言語の機能というものがある。
 それを哲学がどう考えてきたかというところから、話を始めましょう。
鷲田:  人間とはなにかということは、思想史の中でいろんな語られ方をしてきました。
 いまおっしゃつた、話す人(ホモ.ロクエンス)という思想はもちろん根本的なものです。
 また、遊ぶ人(ホモ・ルーデンス)というのもありますね。「遊び」ということができることを
 人間の本質としてみる。ホモ・サピエンスとか、ほかにもいろんな捉え方はあるのですが
 これらの共通点をみれば、ここにないものに関わっていくということ、つまり不在なものに
 自分を関係づける力をもつということなんです。いま目の前に現れているものを、

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08月25日(火)
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