ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■3030、卒業40年周年か〜 −2
* 卒業40周年記念に参加してみた人間模様。
1〜2年次の教養課程の同級生では、TVでよく見かける服部学園の服部幸應と、大阪学院大学の白井総長が面白い存在。
・服部幸應は実名が染谷で、当時は存在感が殆どなかったが、常に財布に10万円を入れているという話はあった。
一年留年をしてアメリカに行っていたのか、留年をしたためアメリカに行っていたのかはファジーである。
二次会のクラス会が彼のために開かれているかどうかは定かではない。
・私が学生時代で一番親しくして、卒業まじかで大喧嘩をした石○譲○。ハッタリ屋だったが20年前のバブルの崩壊で倒産。
借入金が280億で、ビルが17棟だったという。 前回は身を隠している状態で不参加だった。
三次会の最後は彼と飲んだが、二棟だけビルを隠して持っていて現在は、それが生活のベースになっているとか。
更に、この恐慌で、経験を買われてコンサルタントもしているという。
バブル時の倒産劇は、人生の大きく覆いかぶさっているというが、そうだろう。
・クラブ関係では、神田周辺の菓子問屋に養子に行った男が土産として、仰々しい包みのお菓子をくれたが、家内が言うに、
「これって、前週に買おうと東京駅の地下の店のカリントウ。すごく有名だけど、わざわざ並んで買ってくれたのかしら」
と言っていた。「まさか、そこの社長じゃないと思うけど、少しは有りえるかも」と答えていた。
お返しで、新潟の酒を送ったところ、自宅に電話があり家内が出て「そこの社長なんですか」と聞いたら、そうだという。
「先週、買おうと店まで行ったら行列で買えなかった。奇遇です・・・」家内は、本当か嘘か?その辺は調子が良いが、
相手も悪い気がしないだろう。
・卒業してから数年後に、先ほどの石○譲○と、私の自宅に遊びに来た伊香保温泉の「村松屋」に婿養子に入った友人の根岸君。
十数年前に脳溢血になって、九死に一生を得たとかで、半身不随になっていた。 それでも朝一の高速バスで來京し、
最終のバスで帰ると言う。以前に一族の「いとこの会」を、その旅館で開いたことがあった。
・亡くなっている人はクラスの約一割である。 還暦を越えると、社会的に如何こうは、三番目か四番目になる。
10年後には出席できるかどうか。
・・・・・・・・・
2665, 人生は儚いのか?
2008年07月22日(火)
知人の墓に、亡くなってから隔月にお参りをしている。たまたま散歩をする土手の折り返しの近くに
墓がある因縁のためだが。習慣とは面白いものである。両親の墓には年に三度ほどしか参らないのに。
その都度思うことだが、「人生は儚い」ということだ。
必ず、心の中で話しをするが、故人が語りかけてくる言葉は「生きているうち、こっち(あの世)は、ただ空」
そしてダメ押しに「もっと墓参りに来てくれ!」勝手に沸いてくる言葉でしかないが、それでも何かがあるのだろう。
故人と話しをしながら、思うことが、娑婆のことなど全て儚い夢でしかないということ。
そこで「儚いとは、如何いうことか?」を考えてみよう。それは生まれる前の無限の時間と、
死んだ後にも続く無限の時間を、死ぬと覚悟をした時に「あまりに小さな時間」を思い浮かんだ実感である。
だから、「幸福の4Fは克服できない苦難と悲しみ」というのも、言い得ている。
故人から学ぶことは、そのことである。 達成した幸福の喜びなど、酒を飲んで盛り上がれば、出来ること。
そこには、生きているうちに感じる儚さしかない。しかし、それを言えるのは達成をした経験のある人間しかない。
それも、これも、如何でもいいことだが!儚さと感じるのは、4Fの克服できない苦難と悲しみの意味を知らないからだ。
儚いというのは、「わたしの儚さ」である。「わたし」という有限の自分の、小ささをシミジミ知ることである。
その小ささの一番の意味は時間の小ささである。それも、他人と比べるのではなく、生前、生後にある
何処までも広がる時間に対してである。自分を取り巻く永遠の広がりの時間である。
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07月22日(水)
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