ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■3026,清水次郎長の顔がなくなった
「生の科学、死の科学」 −養老孟司 対談集ー 3
【生きる哲学との出会い】 ー橋口譲二(写真家)ー
*清水次郎長や殿山泰司の顔がなくなった
養老 いまの日本に「清水次郎長の顔がなくなった」と、TVに写真が出たときに‘あっ’と思った。
ちょうどブータンに行ってかえってきて、向こうにはよくある顔だったんですね。
人生やることは大体やってきて、修羅場も踏み、この辺で落ちついたという『まあ、こんなものだ』
という顔。 そういう顔が日本人からなくなった。 ブータンの顔は日本人によく似ている。
モンゴロイドがゴチャゴチャの混ざった顔。・・・そこで思い出したのが、黒澤明「七人の侍」です。
あの役者の顔が、幾らでもいるのです。
橋口 侍のような顔がなくなったのはのは、何でだと思います?
養老 「都会になったから」です。 都会人の顔になった、役人の顔になった。一種つくられた顔です。
橋口 何時ごろだと思います。
養老 気がついたのは15〜20年前からです。「面構え」「面魂」という言葉が死語になった。
橋口 僕が新宿の街角で少年達の顔を撮りはじめたのが1981年で、その頃からと今とでは変わりました。
それはバブルの影響が大きい。バブルは人をとにかく豊かにして、しかし努力をして得たものでないので、
落ちていったと思います。 文化の享受の仕方が一面的になったというか、何か平たくなった印象です。
以前に新宿にいたのは、いわゆる不良で、彼らは、自分を取り繕っていないし、自分を隠していない。
不器用で、去勢されてない。 ブータンの役人の顔が日本人に似ているのは、ある種、器用で要領のいい
日本人の顔が浮かび上がってくる。
ーー
情報化の影響もあるのだろうが、世界が情報で溢れかえって、地区地区の土着の味が無くなりつつある。
日本の地方の辻浦々まで、情報が行き渡って、その地区の特有の人間性とか祖先から受け継いできた
風習が損なわれてきているからである。 意識の全国総都会化で、地方のブロックが希薄になってしまった。
また時代のエネルギーが消沈している時は、脂ぎった者同士が塀の上で争う場面が少ないということか。
・・・・・・・・・
2661, 読書の価値について
2008年07月18日(金)
読書について、ある哲学書に、その意味=価値が丁寧に説明してあった。
学生時代に、読書の必要性を感じ取った。そして、卒業まじかになって、その絶対量の少なさに唖然とした。
そこで社会に出てから毎日、最低二時間は読書をすると、自分に誓ったことを憶えている。
高等教育で一般教養を教える目的は、「学校教育が終わった後でも学び続ける人間をつくること」というから、
一応、その成果は少しはあった???ようだ。 考え、問いかけ、答えを自分で得る方向に努力する素養である。
以下は、哲学講義書「考える快楽ーグレイリング先生の哲学講義」の《読書》についての中の一節である。
ーP251
《読書》*一冊の本を読むことから、いったい何度、人は新たな人生を歩みはじめたことだろう
・・・読者は多少経験をつめば、読書を通じて、歴史、喜劇、悲劇といった多様な人間の経験を、
あたかも飛翔するワシのように俯瞰することができる、偉大な国へと進むようになる。 そして、
読書に意識を集中できるようになれば、差しだされた豊潤な世界から多くを得ることができるのだ。
読書の鍵は、集中という言葉にある。 どんな教育であれ、後世に遺すことができる最善のものは、
熟考と疑問をもつ習慣だ。 読書は受け身の行為になりうるし、一時の気晴らしに過ぎない娯楽になる場合もある。
たしかに多くの本は、読者がそれ以上のものを必要としないくらいにたっぷりと技巧をこらして書かれているし、
べつにそのことが悪いわけではない。 しかし、それ以上のものを求めようとすれば、読書は受け身ではなく、
能動的な行動にならねばならない。 よい本をよい本たらしめているものを定義する、とはむずかしい。
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07月18日(土)
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