ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■3004,そう考えない人はどうかしている
「世界は感情で動く」 ー5 読書日記
ー 行動経済学からみる脳のトラップー
21章 「そう考えない人はどうかしている−フォールス・コンセンサス効果」
まずはーフォールス・コンセンサス効果ーとは、
【 自分と他者の間に共有されている「合意性(コンセンサス)」を過度に見積もる認知的バイアスをいう。
つまり、人はある状況における自分の判断や行動は一般的なものであり、適切であるとみているので、
他者も普通なら自分と同じように判断し、行動すると考えるのである。そして、もしそれを逸脱した他者に出会うと、
その他者が特別なのか、あるいは変わった存在だとみなしてしまう。】
このトラップも陥りやすい思い込みである。 自分の考えが周囲の皆の考えと同じものであることは、
ごく当たり前のことであると思い、そのことに疑いを持つようなことはしない。
しかし一たびその前提が崩れ、「自分と違う」人が現れると、その人に何か欠陥があるのではというレッテルをはり、
自らの「常識」に固執するようになる。 その辺の町内に居るオバちゃん達の噂話が典型。
世間の目線で少しの差異を見つけ出して非難する「あれ」である。これは世界一般のことだが。
しかし「あれ」と同じ思考形態をしている自分を見逃している。
考えてみると我われの思考形態は、それに縛られていることに気づかされる。
思い込みの強すぎる私など、全くの偏見の塊と自認する。
おかしな新興宗教に教祖様が羊タイプの人を集めて洗脳するに、教義を「そう考えない人はどうか
している」まで叩き込む。自分の偏見を定説と喚きたてていた変な教祖様が話題になったことがあった。
これを自分に向けると、良くいうと信念。 悪くいうと独断・偏狭になってしまう。
松下教も、紙一重の社内では似たようなようなもの。 共同幻想もハサミも使いようということ。
それもこれも、人間は何時の間にか偏見の塊になっている。 で、その偏見で、偏見を解釈しているのだから、
ますます、歪んでいくのである。 まあ、それが自分という壁を作っているとすると、私は何?
この随想日記も、「私の偏見日記」ということになる。
他人の偏見は鮮明に見えて、自分のそれは見えないから、唯我独尊になる。 まあ、それが人間か〜。
(後記 その視線で下の文章を読んでみると、なるほど!「偏見日記」である。下手に説得力が
あるから面白いのだろうが、偏見も自覚が必要ということ)
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2640, ブランド品 ー2
2008年06月26日(木)
ブランドものに、何故も女性や若者は執着するのだろうか。哲学者にとっても社会学者にとっても、
これは面白い対象である。もともとブランドが一般の人に言われだしたのは1960年代という。
それまでは、嗜好品としてマニアへの専門メーカーでしかなかった。
それがブランドといわれて世界中に知れ渡ったのは40?50年前からでしかない。
特に日本人が、その旅行ブームで貢献したのである。ブランド品を欲しがるのは、それを持つに相応しい人たちで
はないのが悲しい。それにつりあわない若者とか、そのランクから何段か下の人たちである。
ありたい自分になれない人が、それを持つことで、持てない人への格差意識と、持っている者同士の、
自己顕示の小道具でしかない。 勿論彼女等は、そのことは知らない。
それは自己愛の変形であり、ブラン品の購買そのことで心の空洞を埋めようという行為でしかない。
またブランド品で、「他者との差別化」を図ろうとする欲望がはたらいている。
知性の低い、コンプレックスの強い人の自己愛を満たそうという試みである。
人は不特定多数の欲するモノを、自分も欲しくなる。 それを差別化し、記号化したのが、ブランドである。
フランスのボードリヤールは、それを記号の消費といったのである。それは階級コードではないのである。
それをもつに相応しい人より、その階級に憧れを持つ人のブランド愛であるという。
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06月26日(金)
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