ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■3000、3000回か〜
この随想日記が3000回になった。1000回、2000回の時ほどの感慨がない。
書き続けることに慣れてきたのだろう。 誰に頼まれたわけじゃなし、ただ習慣だから続けているだけ。
確かに、続けているとプラスにはなる。 考えざるを得ないからである。 それと、常に何か書くことがないか
注意を周囲に向けるようになった。 その現場で、キーワード探しと、その組み合わせをするようになっている。
書くことを職業にしている人は、考えることを職にしていることになるが、
紺屋の白袴で・・・・?
ところで、千回、二千回の時に何を書いていたか、調べてみた。 なるほど、今回も同じような気持ちである。
ふと、気づいたが、自分とは時間の経過と同時に広がっているということ。それと、心の底の変わらない‘X’が魂ということになる。
・・・・・・・
2006/09/24
2000, 継父
(。^0^。)オッ(*^○^*)ハ?
今日は母の命日で、亡くなってまる十年経った。この随想日記2000回と重なるところが不思議である。
早かったのか遅かったのかというと、大昔のような気がする。
5年半の間、痴呆症になっていたが死に際の入院までオシメをすることがなかった。
痴呆症を切れ掛かった蛍光灯に例えると分かりやすい。始めは時々切れてはつくが、その回数が増えてくる。
マダラボケがジワジワと悪化すると被害妄想や、抑えていた悪口・陰口が始まる。心が腐っていくのが手に取るように解る。
マダラボケは一緒に生活をいていると疲れるものである。
亡くなって一月後になって、「人様はなんて楽な日常を過ごしているのだろう!」と、驚いてしまった。
両親の一生をみると、人生の深さを思い知る。 戦争は全ての国民に深い傷と重石を担がせる。
第二次大戦直後に生まれたが、あと十数年早く生まれていたら戦争にとられて・・・
ところで母の命日なので供養として、母の幼少時の、絵に描いたような地獄絵の世界を話してみよう。
そして、それが長男・次男の死の間接的な死の原因になってしまう。
この話を故人になったが教育学者の森信三さんが間接的に聞いて、「自分の主催している会で話して欲しい」依頼があったが、
断ってしまった。20年前で母が生存中なことと、それを多くのセレブの前で話すには自分が出来てなかった。
その時、是非話しておけばと悔いが残っている。母が幼児の頃、父親が母の兄と姉を残して亡くなってしまった。
(奇しくも昨日 TVのWOWOWで「世界で不幸な物語」という映画を観た。3人の資産家の孤児が、里親に命を狙われ
転々とする筋書きであった)家が商売をしていたので残った母の母ー祖母は男後家をもらうしかなった。
そして祖母と男後家との間に4人の子供が生まれた。 そこで何が起こるだろうか? この設定は、言わずもがなの結果になる。
義父による実子との差別と、徹底的な虐めである。3人の末であった母に、特に虐めがいったという。
それが母のトラウマになってしまった。 ーつづく
さて墓参りだ!
・・・・・・・・・
1000, \(~o~)/千日の随想日記!
2003年12月30日(火)
1昨年の5月2日から今日の12月30日までは973日である。更に旅行をしていて休んだ一回分の日を加えると
約35〜40が合わない。調べてみると206ー222とか250,251辺りとか何箇所かがぬけている。
しかし小説風の「宗親日記」が大体その位の数を書いているので、合わせて一千回の到着日とすることにした。
あくまで自分ひとりの記念でしかない。
子孫への永久保存版としてー「子供や孫に見せるように」と、また「遺言」のつもりで書いてきた
(書き始めて一年位経ってからだが)だから続いたのだろう。自分の父親や、祖父がこのような文章を残していたら、
実際のところ面白いだろう。いま考えてみると、私にとって随想日記を書き始めた日を境に自分が
間違いなく変った。一日一日が本当に充実したのだ。
会社のネットを含めると50人位の人に毎日読まれていると思うと誰かに
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06月22日(月)
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