ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■2924,中沢新一の『三位一体モデル』 −3
 
『三位一体モデル』中沢新一著   読書日記

 * 煉獄の発明
キリスト教の資本主義にとって、都合の良い「煉獄」を発明した。
中世にこれを発明したのは、実に都合の良い大発明にある。
それまでは天国と地獄しかなかった。しかし、この発明で、いったん地獄に落ちた人が
煉獄に地獄から這い上がれば、上から天子がやってきて、天国にむかえてくれますよ、と、
こんなことを言い出したのである。こういう経緯を経て、資本主義が動き出したのである。
これは恐らく商人のために考えられたもので、動物の殺生などに従事していた職人たちも、
その恩恵にあやかった。それまでは彼等には、まったく救済がなかった。
だから、生前、極悪非道の金貸し商人だった人が、死後に、煉獄の山を苦労して登り、
天国に行ったという話しがでっちあげられるようになった。

こうした経緯を経て、西欧州の資本主義が動き出した。ガシャガシャと動き出したのが13〜14世紀。
それから、16,17世紀を経て、19世紀にフル活動をするようになった。
もし煉獄とうの考え方がなかったら、今日の西欧資本主義はなかった、といえる。
ようするに一神教である限り、資本主義の潜在力は抑えられてしまう可能性があった。
発達を可能にしたのは、それに加え、増殖の原理を飲み込んでいたからである。
キリスト教は、西と東に分裂したが、東のギリシャ、ロシア、東欧のキリスト教圏では
資本主義は実現できなかったのも「三位一体」の理解法にあったのである。
1990年代まで続いた東西対立の、いちばん深い根っこの部分にも「三位一体」は関係している。
さらには、現在のロシアの経済が何故あんなに混乱しているのか、また、70?80年前に。
その地に何故社会主義なるものができたのか。これも、この三位一体の歴史問題と関わってくる。
 ーー
煉獄という言葉を知ったのはロシアの文豪ソルジェニツゥインの『煉獄の中で』である。
地獄の一歩手前のところと解釈していたが・・・ 

 ・・・・・・・・・・
2560, ホモ・ルーデンス ?2
2008年04月07日(月)
          (*´∀`)」" おはよう☆彡
子供の頃、無我夢中で遊んでいた頃の楽しさ、あの時の無我夢中の気持ちが人生の中で大きな位置を占めていたのである。
人生の要諦、「よく学び、よく遊び、よく働く」のうち、一番満足度が高いのは、「よく遊んだこと」である。 
 ただし「よく」である??。 まずは遊びの本質と定義について書いてある部分を抜粋してみよう。
   ??
 ー文化は遊びのなかにはじまるー
遊びは文化よりも古い。動物は人間とまったく同じように遊びをしている。
遊びの基本的な要素のすべてが、すでに動物の戯れのなかにはっきりとあらわれている。
子犬が遊び戯れているところを観察してみさえすればよい。
子犬は一種の儀式めいた身振り、動作で、たがいに気を引きあったりする。
相手の耳を血が出るほど噛んではいけないという規則も守っている。
まるで恐ろしく怒っているかのようなふりをして見せる。
もっとも重要なことは、子犬はこれらすぺてを明らかに嬉々として楽しんでやっているということである。
このように動物の場合と同様、人を夢中にさせる力、〈面白さ〉のなかに遊びの本質があり、〈面白さ〉こそ、人間にとって
  もっとも根源的なものである。人類が共同生活をはじめるようになったとき、その行動にはすべて最初から
  遊びが織り交ぜられていた。 たとえば、人類の最初にして最高の道具である言語である。 
言語によってものごとを表現したり、伝えたりするという行為はいつも遊びながら行われるのである。 
どんな抽象の表現でも、その背後にあるのは比喩であり、いかなる比喩のなかにも言葉の遊びが隠されている。
 *遊びを定義すると
遊びとは、ある限定された時間および空間のなかで行われる、自発的な行為もしくは活動であり、
自発的に受け容れられた、絶対的な拘束力を持つ規則に従っている。
遊びの目的は行為そのものにあり、それは、緊張と歓びの感情を伴い、

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04月07日(火)
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