ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■2574, 我々は 井伏鱒二の山椒魚?

−山椒魚は悲しんだ。彼は彼の棲家である岩屋から外へ出てみようとしたのであるが、
 頭が出口につかえて外に出ることができなかったのである。 〜『山椒魚』本文より〜
  岩屋から出られなくなってしまった山椒魚が、孤独のあまり岩屋に迷い込んだ蛙を
  閉じ込めてしまうという、井伏鱒二の「山椒魚」を読んだときの衝撃が、今でも鮮明に残っている。

学生時代に読んだ時の私の解釈は、「岩屋」を自分のつくった固定観念と、因縁に縛られてしまった
現実(生活レベルの環境)ということであった。 
岩屋に入った後に、自分の体が大きくなり、その入り口から出れなくなった悲哀である。 
人生の縮図のようで、何か残酷にさえ思えたものだ。
身近な壮年・老人の一生が山椒魚に重なって見えたのである。
家業に縛られた長男、長女の立場も岩屋にたとえることが出来るが、
ただ誰もそのことにすら気づいてないのが、悲しいといえば悲しい!


しかし考えてみれば、全ての人が同じではないだろうか?
頭が大きくなりすぎて出れなくなったならよいが、腹?(中年太り、出来ちゃった婚の子供)が
大きくなって出れなくなって云々で一生、岩屋で過ごしてしまうのが人生だろう。
といって山椒魚が大河や大海をすいすい泳ぐこともない。
所詮は岩屋から出たり入ったりをしているので、同じことかもしれないが。
 その後人生を重ねて自分を振り返ると、自分も同じである。
  これを読んで、ピンとこないのは鈍い? 
 山椒魚の場合、岩屋に餌が紛れ込んでくるが、最近は岩屋には餌が激減しているようだが。

それでも最近は、インターネットという代物が出てきたため、岩屋でもけっこう面白か!
 
・・・・・・・・・
2007年04月21日(土)
2209, 反時代的毒虫 −4
    U(^(ェ)^)U おはようございます!  ー読書日記ー
  「反時代的毒虫」ー河野多恵子、奥本大三郎との対談ー
    『人の悲しみと言葉の命』から

P-153
奥本:お金を恥ずかしがったり、汚がったりするのは、日本独特のことじゃありませんかね。
河野 やっぱり武家社会の影響だと思います。武家社会はお米が給料でしょう。
奥野:武家の負け惜しみ。
河野:武家は、一種の俸給生活者。それでお米をお金に替えたりするわけだけど。
   お金というものに縁遠かった。
奥野:商人階級を特に分離して、それを卑しめる。しかも時代とともに苦しくなって、
   それに頭を下げなければならない悔しさ。 そこから不浄感が余計に出てきた。
 P-156
    車谷:「お金がないということが生きることの原動力になっている人と、
     それが無気力を呼び込んでしまっている人と、ふた通りありましたね。
     前者はなりふりをかまわず、金さえあればっていう考えで生きている。
     そういう人たちの顔色は溌剌としていた。ニヒリズムというか、
     絶望感というか、そういうものをはっきり意識していた。」
    車谷:「(無気力組のほう)つまり金がないということの行き着く先は、
     浮浪者というかホームレスという形になっていくと思いますね。
     比喩的な意味では、この世での居場所を失うということです。
     じゃあ気力がある人はどうなるかと言ったら、
     ドストエフスキーの『罪と罰』みたいに人を殺すんです。
     ラスコーリニコフみたいに人を殺すとか強盗に入るとか」
    奥本:「気力はあるが、判断力がないんじゃない。」
    車谷:「判断力のある人は、だいたい水商売に行くんです。
     なぜ水商売に行くかといったら、この日本社会では保証人になって
     くれる人がない限り、水商売以外では、暮らしていけないからです
     私も多分にもれずに、水商売を、9年もやった。
     水商売の場合は、タコ部屋というのが用意されていますから。
     そこでともかくねどまりをする。 だからそれは判断力のある人。
P-184
車谷;大江健三郎さんは、上品というようなことをいいます。

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04月21日(月)
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