ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■2502, 「体験と偏見による養生の実技100」
「体験と偏見による養生の実技100」の例が、主観的だが面白い。
その中で6項目を書き出し、考えてみた。
−−−−
13、中心は辺境に支えられる。心臓や脳を気遣うなら、手足の末端を大切に。
指先、掌、足裏など。
解)フランスの、あの「成り上がり大統領」に聞かせてやりたいものだ。
35、人生50年というのは正しい。それ以降はオマケと考えて感謝の日々を送る。
朝、目が覚めたときには、胸の上で手を合わせて、
「きょう一日の命を、ありがとうございます」と言う。
眠りにつく前には、同じく「きょう一日の命を、ありがとうございました」と言う。
解)もともと、おまけと考えればよい。 死を悟ったときに気づくことだが。
50、仏教では「われありて、かれあり」という。
笑うことは心身によいが、泣くことも同じ。
涙は魂を浄化する。
解)泣き笑いか、人生は!
73、人は過去を清算できない。それを背負って生きる。
手術をして治ったということは、元に復したということではない。
解)ただし、管理はできる!
90、こんな時代に毎日、明るく爽やかに生きていける人は、病気である。
「世間病むが故にわれ病む」というのが人間的な人間である。
解)明るいふりでも、した方がよいのが人間の心じゃないですか!
著者が言っているように他人に効果があるものが必ず自分にも効果が出るとは限らない。
自然体で生きるべきということ。しかし、その自然体というのが難しいのである。
いずれにしても、生まれてきただけで、生きているだけで良いじゃないですか。
それが解ってないから苦労するんじゃないですか、人間は!
・・・・・・・・・
2007年02月09日(金)
2138, 中年の心象風景
オッ(*^○^*) ハ〜ヨウサン!
−読書日記
【人生のことは、小説が教えてくれた】
高橋敏夫著 中経出版
この本の中に、中年期の心象風景を見事に書き出した文章を見つけた。
よくぞこれだけ巧く表現できるのか感心する。
中年期も終わり、そろそろ熟年ー初老期に入りかけてきて、
人生を振り返ることが多くなってきた。
今まで振り返らないように意識的に前向きに生きてきたが、
最近は、「ここまで来れば、振り返るのもよし、一日一日を一期一会として生き、
日々・現在を充実するもよし」の心境になりかけている。
ここには、中年期の人間の心象風景がズバリ語られていた。
私は(いや誰もが?)現在でも、この心象風景はつづいている。
いずれにしても、夢と現実の段差と隔離を心の中に抱えて日々を、
ただ精一杯生きるしかない、色で例えれば紫色かダークブルーの時期である。
青年期に抱いたあるべき理想の自分とはかけ離れた自分を、
青年期の残像としての自分が見つめる屈折した時期である。
(大部分がと!あえて言っておこう)
まずは、その一文を書き写してみよう!
−−
青春が夢みる時代であるとすれば、つづく中年は夢の実現の時代ではない。
わたしたちのほとんどにとってそれは、夢の不可能を知り、夢という言葉さえ
忘れて生きる苛酷な時代である。
夢みることが、「現状の否定」に発するとすれば、その不可能の自覚は
屈折した「現状の肯定」になりざるを得ない。
楽天的な「現状肯定」ではなく、「現状の否定」が不可能であることを知った者の
「現状の肯定」になるからだ。
しかし、このときわたしたちは、はじめて「現状」というものと直面している、
といってよいだろう。
それは否定しようもなく、わたしたち個々人の思いを越えて、たしかにここにある。
現状のおもさをうけとめたとき、わたしたちはようやく性急さから解放される。
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02月09日(土)
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