ID:54909
堀井On-Line
by horii86
[396486hit]
■2445, ルサンチマン
(Оゝ∀・О)。+゜+。ォハョォ☆
初め、ルサンチンマンという言葉をニーチェを読んで知った時に、
その鋭い指摘に驚かされてしまった。
弱者の怨念を宗教の巧妙な手口で利用したのがキリスト教の基本か?と。
昨年の9月の読書日記に一部書いたが、更に掘り下げて考えてみる。
*まずルサンチンマンを ーGoo辞書ーで調べてみた。
{ もともと恨みや憎しみが心の中にこもって鬱屈した状態をいう言葉だが,
ニーチェはこれを弱い者への思いやりや自己犠牲を説く平等主義的な道徳の起源を
説明するために用いた。 彼によればキリスト教道徳や,そこから生まれた
近代市民社会のヒューマニズムや人権の思想は,弱者の強者に対する恨みや復讐心を
道徳として表した奴隷の道徳なのである。 この延長上にある社会主義の思想も,
このような奴隷道徳の一部に他ならないと考えられる。
ニーチェはこれに対して強者の道徳,貴族的な誇りや勇気を讃える戦士の道徳,
君主の道徳を対置した(ニーチェ『道徳の系譜』)。
しかしこれは結局ファシズムによって利用される結果にもなった。}
ーー
あるブログの中では、
{ニーチェは、人が「善悪」という言い方をする真の原因は現実世界の力関係にあると言う。
強大な民族が平和に暮らしていた弱小民族を襲い、征服したとしよう。
勝者は敗者の財宝や婦女を奪い、去っていく。
残された人々は、相手に害も及ぼしていない自分たちを襲い、悲惨な目に会わせた相手を
悪の権化として呪うだろう。 それに比べ、罪なき自分たちは善である。
「善悪」はこうして、カでは相手にかなわない弱者がせめて「道徳的」には
優位に立って、相手を見下そうとする心理、「妬み(ルサンチマン)」から発生する。
同じことは「正義」「節制」「勤勉」「清貧」などあらゆる道徳的価値に言える。
肉食獣に襲われた草食獣が円陣を組んで抵抗するように、弱者が強者から
身を守ろうとする「蓄群本能(ちくぐんほんのう)」から生まれたのが、
ローマ帝国の奴隷にまず普及した「奴隷道徳」としてのキリスト教である。}とあった。
ーーーーーーー
以上を、更に噛み砕くと・・・
たとえば、善を高貴で富んだ者とすると、
悪は、その反対の、野卑で貧困で弱い人になる。
しかし一方で、この価値判断に対立する考えがある。
「貧困で弱い者は善である」という考え方である。
これをルサンチンマン=怨念と考えた。
カントは、キリスト教の教義「神は貧しき者の味方なり」「貧しき者は幸いなり」
など、キリストの名を借りて、貧しいものが善で、富める者は悪であるという概念を
つくり上げた功罪を厳しく批判した。 弱者を正義に祭り上げようとした宗教は、
もう必要はないと、「神は死んだ」と主張。
まだまだキリスト教の教義にガンジガラメの当時の社会を変革しようとした。
キリスト教も、ユダヤ教が対象としなかった女や病人などの弱者の立場を擁護する教え。
そこにニーチェは、弱者善人、強者悪人という怨念の縛りを感じとったのである。
大部分の弱者である一般の人にとって、宗教は必要になる。
しかし、他の国や民族から、自国や民族を守るには強者の支配も必要なこと。
その結果として、左手に聖書(正義)、右手に剣が必要になる。
ヽ(゚∀゚)ノ バイバイ!
・・・・・・・・・
2006年12月14日(木)
2081, あたりまえのことばかり −20
才八∋ウ_〆(∀`●)
ここでは哲学という視点で、心の問題を取り上げているが、感情について、
なかなか切れ味は鋭い。「激しい感情が、向こうからの訪れる」とは、
なるほど!である。 向こう側とは何処なのか?
学生時代に[情念の話術]という本を読んで、実際に自分で試したことがあった。
喜怒哀楽を前面に出して、自分を押し出して、話しをする。
[5]続きを読む
12月14日(金)
[1]過去を読む
[2]未来を読む
[3]目次へ
[4]エンピツに戻る