ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■2384, こころの旅  −1
   「こころの旅」神谷 美恵子 (著)

藤原治著の「人は60歳で何をしたか」に紹介してあった本である。
さっそくアマゾンで取り寄せ、読んでみて、もっと早い時期に読んでおきたかったと
思わせる本であった。最近に、こういう本に出会うことが多くなった。
一冊の本に魂を入れることが出来るのである。本とは本来そういうものだろう。
それとも自身が著者の魂を感じることが出来るようになったのだろうか。
人生の旅路には、常に越えなければならないいくつもの峠がある。
この本は「こころの峠」の、それぞれの年代に焦点を当てて優しく語りかけている。

この本のどの部分を読んでも、深い魂から呼びかけてくる声が聞こえるようである。
この本は十章から構成されているが、一章ごとに過去を振り返りながら読める。
人が死ぬのは肉体だけで、「こころ」は何時までも残る、と感じさせる本である。 
人生で何か一番大事な部分から目を離していたのかもしれない。
この本の最終章に、この本の要約が書いてあった。
一番感じたことは「こころ」に「よろこび」が必要ということである。
アホかと思われるかもしれないが、「こころ」に喜びはシャワーのように浴びせてきた。
それが人生を振り返り、一番良かったと言えることである。

ーまずは、その中から一部をコピーしてみる
 ーー
からだにとって空気や水や食べ物が必要なのと同様に、
「こころは生きる喜びが必要である」ことは一生を通じて変わらないことであった。
幼児期のホスピタリズムは、これを証明するもっとも早期の例であったが、
その後も「生きるよろこび」欠乏のために神経症、犯罪、自殺企画、自殺そのものが、
各時期におこりえたはずである。
ことに大きな危機は青年期と向老期であることは見てきたとおりである。
日本では老人の自殺率がいつも世界で一、二を争うほど高いという。
老人をめぐる社会的環境の悪さのために、老年期もまたこころの旅にとって
一つの危機なのだろう。社会的次元のことは社会全体の努力と工夫によって、
かなりのていどまで改められるはずである。
老人にもこころのよろこびを、というのがその目標でなくてはならない。

人間のこころのよろこびがどんなものかは、幼いころから次第に明らかになっていった。
愛し愛されること、あそび、美しいものに接すること、学ぶこと、考えること、
生み出すこと。こうしたよろこびが宇宙の中でどれほどの意味を持つかはわからない。
パスカルに言わせればみな「気散じ」の中に入れられてしまうかも知れない。

 しかし、人間は弱く、だれもが死や無限の宇宙の恐怖に直面してパスカルのように
遁世できるわけでもない。思索を使命とする人にはそういう生きかたが
ふさわしいのであろうが、ふつうの人間としては、どの側面からでもこころのよろこびを
求めて行くのが自然であり、素直でもある。
真にこころをよろこぼすものに一身を投げかけてこれを深めて行くとき、
そこに時空を超えたものを、たとえ瞬間的にでも畏敬の念をもって垣間みることも
あるだろう。これに支えられて人はときどき「我を忘れる」ことも許されるはずだと思う。
生にはほとんど必然的に苦しみが伴うが、これを乗り越えるためにも、人間には時折
「自己対自己」の世界の息ぐるしさから解放されて、野の花のように素朴に天を仰いで、
ただ立っている、というよろこびと安らぎが必要らしい。それは植物や他の動物と同様に、
人間もまた大自然の中に「生かされている」からなのだろう。
こころのよろこびのあるかぎり人は存続するだろう。
たとえ廃嘘の中からでも新しい生活と文化を築いて行くことだろう。

 生命の流れの上に浮かぶ「うたかた」にすぎなくても、
ちょうど大海原を航海する船と船とがすれちがうとき、
互いに挨拶のしらべを交わすように、人間も生きているあいだ、さまざまな人と出会い、
互いにこころのよろこびをわかち合い、しかもあとから来る者にこれを伝えて行くように
出来ているのではなかろうか。じつはこのことこそ真の「愛」というもので、

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10月13日(土)
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