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堀井On-Line
by horii86
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■2383, 私の嫌いな10の人びと −2

中島 義道 (著) ー読書日記

まずは、この本をダイジェスト的に書いてある最終章をコピーしてみる。
「世間の感受性に漠然と合わせて、無批判的に従っている人が嫌いで、
自分の固有の特性に基づいて考え抜き鍛え抜いているかが決め手」というが、
哲学者じゃあるまいし、殆どの人間は目の前、生きることに精一杯のはず。
この哲学者にかかったら、世の中の大部分の人は嫌われる対象になる。
しかし、その辺の「世間人」を見ると、そうだそうだ!と肯いてしまう。
自分の弱さをしりつくしている我が身は、大多数の中で自分だけは違う!
と心の奥で呟いているだけでしかない。
好き嫌いはその人の固有の問題だから気にすることはない。

ーー
私は本書では、むしろ大部分の現代日本人が好きな人、そういう人のみを
「嫌い」のターゲットにしたのです。それは、さしあたり物事をよく感じない人、
よく考えない人と言うことができましょう。
「よく」とは自分固有の感受性をもって、自分固有の思考で、という意味であり、
ですから世間の感受性に漠然と合わせている、世間の考え方に無批判的に従っている
ような人は嫌いだということ。すぐさま反論が出そうですので、さらに説明しますと、
・感受性において、思考において怠惰であって、勤勉でない人、
・「そんなこと考えたこともない」とか「そういう感じ方もあるんですねえ」と言って
 平然としている人、
・他人の感受性を漠然と自分と同じようなものと決め込んで、
 それに何の疑いももっていない人、
・他人が何を望んでいるか正確に見きわめずに、「こうだ」と思い込んでしまう人です。
 そのさい、その人の喋る言葉が鍵となります。
・定型的な言葉を使って何の疑問も感じない人。
・自分の信念を正確に表現する労力を払わない人。
・周囲から発せられるその時々のサインを尊重せず、
 自分の殻(安全地帯)の中に小さく閉じこもってしまう入。

いや、もつと正確に言う必要がある。
私はある人が右翼でも、左翼でも、テロリストでも、独我論者でも、
「みんななかよし論者」でも、ちっともかまわない。
そのことによって、その人を嫌いになることはまずないと思います。
どんな思想をもってもいいのですが、当人がその思想をどれだと
自分の固有の特性に基づいて考え抜き鍛え抜いているかが決め手となる。
つまり、その労力に手を抜いている人は嫌いなのです。

いちばん手抜きがしやすい方法は、しかも安全な方法は何か?
「大多数と同じ言葉を使い、同じ感受性に留まっていることです。」
それからずれるものを自分の中に見つけるや、用心深く隠しとおすことです。
あとは知らぬ存ぜぬで、見ないよう、聞かないよう、気がつかないようにしていればいい。
人生は平穏無事に過ぎていくことでしょう。 こういう入は「いい人」なのです。
しかも自分の「弱さをよく知っており、大それた野望など抱かず、つつましく生きたいと
願っている、おわかりでしょうか?」こういう人が私は最も嫌いなのです。・・・・・・

私の大嫌いなへーゲルの思想ですが、
「あることが真の言葉か否かは、その言葉の表面的な正しさによってではなく、
その言葉を発するに至るその人が、いかに血の滲むような「経験」をしてきたか
によって決まる。」  私の言葉で言いかえると、
その人がいかに勤勉に「からだで考える」ことを実践しつづけてきたかで決まる。
人間とはこんなにも複雑なものであるのに、それをわずかな引き出しに閉じ込めてしまい、
しかも強引に「よい方向」に、つまりそう人間を見たいように、まとめあげてしまい、
あとは挺子でも動かない絶対的確信となる。
なぜなら「常に感謝の気持ちを忘れない」とか「いつも前向きに生きている」
とまとめあげてしまったあとは、もう人生で何が起ころうが、見ないように
考えないようにしているからです。

ーーーー
後記)哲学は心理学とはチト違う。何ごとも道理が優先である。
それも言葉の中にある曖昧さを駆除する。 真理は必ずついてまわる。

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10月12日(金)
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