ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■2379, 人は60歳で何をしたか −5
(p≧w≦q)オッ☆ o(≧▽≦)o ハァァァァァァ♪
「人は60歳で何をしたか」藤原治・著
まずはー大江健三郎『燃えあがる緑の木』ーから、
印象的な部分を抜粋してみる。
ここでは、 大江健三郎の魂に対するイメージを鮮明に言葉にしている。
「亡くなった人が、生まれる前から割り当てられていた、
森の樹木の根っこに戻っていく」
自分の両親は、どの木に戻っていったのだろうか?もし両親に、
「この木と思う!」と言われていたとしたら、墓より意味は深いはずである。
「自分の木を見つけておきなさい!」という言葉にハッとしたことがあったが・・
今度は本気になって、自分の木を探すことにした。
知人の別荘?に、大きな大きな藤の木がある。
多くの花が咲いた写真を見せてもらったが、そこには祖先が集って咲いているのだろう。
そして、そこの根元に自分たち家族も行くと思うと心が安らぐはずだ。
そこには会いたくない人もいるのかもしれない?が・・・
多くの先祖が集っていると思いながら手入れをすれば、それは楽しいだろう!
自宅にも藤の花がある。あれが母で、梅の木が父と思うと何か庭が違って見えてくる。
そうだ私達の木を植えよう?
あまりそういうことを考えると、ここから出れなくなる!
ーP・50
「家庭おける、環境が持っている『癒し』の力から、私は核時代の病んだ社会に対する、
被爆者の『癒し』の力を考るにいたりました。すくなくともいま広島.長崎で核兵器廃絶の
ために発言し、活動している被爆者たちに(略)社会全体あるいは惑星の人間全体に対する
『癒と』への積極的なねがいを見てとらぬわけにはゆきません」無視するには心苦しい
大江は、還暦の頃どんなものを書いていたのだろかと、ある種の郷愁を持って訪ねてみた。
そうすると、『燃えあがる緑の木』三部作にたどり着いた。
しかも、大江は95年のノーベル文学賞発表の際、この『燃えあがる緑の木』三部作を
最後に、創作活動を終え、その後の執筆再開の予定もないと宣言していたのである。
これほど、本稿に相応しいシチュエーションはないと、本屋に走った。
だが待てよ、と思った。『燃えあがる緑の木』というタイトルから内容を、
何も想像できない。この本を読んでもまた、大江のことを何も理解できないかもしれない。
そこで、文庫本コーナーで『私という小説家の作り方』も合わせて買い、読んでみて
ようやくわかった。今まで、都会育ちの僕がわからないのも無理はなかったのだ。
『私という小説家の作り方』には、今まで理解できなかった彼のキーワードが
解説してあった。 例えば「森」。「森」は彼の出自と刷り込みを表しているという。
『燃えあがる緑の木』にも、同様のキーワードが点在する。
「屋敷」「在」「十畳敷」「森の会」百草園」などだ。そんなキーワードは
『私という小説家の作り方』を読んだ後だったので支にはならなかった。
それに主題はたぶん、次の言葉に尽きるのだ。
「私は魂のことをしたいと思います」
そうなのだ。魂のことを仕事にしたら、もうその先は何もないのだ。
それを大江は知っていて、『燃えあがる緑の木』を最後の著作にしようとした。
その「魂は、谷間や『在』の民家にらに体を残して浮ぴ上る。
そして、グルグル旋回しながら上昇して、生まれる前から自分に割りてられている
森の樹木の根方におさまる・・」とし、魂とキーワードとの関連を主題としていのだ。
しかも、随所に、僕の親しみを持つ人たちの名前がちりばめられている。
ドストエフスキー、ンテ、プラトン、ランボオ……。 そして、こう結論づける。
「自分がこれだけ生きてきた人生で、本当に生きたしるしとしてなにがきざまれているか?
そうやって一所懸命思い出そうとするならば、かれに思い浮ぶのはね、幾つかの、
一瞬よりは いくらか長く続く間の光景なのじゃないか? そうすればね、カジ、
きみがたとえ十四年間しか生きないとしても、そのような人生と、
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10月08日(月)
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