ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■2261, 「アンラーン」について
          (。・ω´・)っノ 【才ノヽ∋―】

    「アンラーン」という面白い言葉に出会った。
      味と深みのある言葉である
     早速、検索で調べてみると次のようにあった。
ーー
鶴見俊輔の言葉の中で
ー戦前、私はニューヨークでヘレン・ケラーに会った。
 私が大学生であると知ると、
「私は大学でたくさんのことをまなんだが、そのあとたくさん、
 まなびほぐさなければならなかった」といった。
まなび(ラーン)、後に まなびほぐす(アンラーン)。
「アンラーン」ということばは初めて聞いたが、意味はわかった。
型通りにセーターを編み、ほどいて元の毛糸に戻して、
再び自分の体に合わせて編みなおすという情景が想像された。
ーー
    があった。

    成る程、一度編み上げたセーターを、解きほどき、もう一度変化した自分の
    身体に合わせるように編みなおすという喩えが、解りやすい。

また他にも
ーー
ドラッカーが『創造する経営者』の中でも、
「知識は消え去りやすいものである。
したがって始終、再確認(リコンファーム)し、学び直し(リラーン)、
習練(プラクティス)し直さなければならない」
と知識の扱い方を述べている。 さらに同書で、
「知識が知識であるためには、進歩しなければならない」と。
知識は最も腐りやすい、そのため絶えずリニューアルすべきことについては、
「知識をラーン(学習)し、リラーン(再学習)し、アンラーン(脱学習)が、
知識管理の大前提である」と述べている。
ーー

    アンラーン(unlearn)すなわち“離脱学習”は、
    日本の弓道の「守・破・離」の「離」に酷似し、
    仏教の「諦め」という言葉にも通じる。
    知識から知恵への転換ということだ。
    自分も含めて知恵の無い人が多いが、知恵に転換するまで
    知識に対しては貪欲に求め続け、かつ掘り下げなければならない、
    ということだ。

    満60歳という歳は、人生の「アンラーン」の時期かもしれない。
    一度、編み上げたセーターを解きほぐし、
    改めて新しいセーターを編み上げる転換期、
    競馬でいう第四コーナーを回っているところだ。
    少し息が上がってきた?・・・ 
   そんなことはない、直線も面白そうだ!
 アンラーンか〜! 「一生、一書生」という言葉もあるが。

 「社会的な形式にこだわっているには人生は短すぎる!」
 「アンラーン!」
             byebyeヽ(o・ω・o)ノ゛
・・・・・・・
2006年06月12日(月)
1896, ダ・ヴィンチ・コード
                ー映画日記
    才八∋ウ_〆(∀`●)

何時も、映画はWOWOWかレンタルDVDで観ているので、久々の映画館は新鮮である。
レンタルDVDの店が会社の近くに出来てから、映画館に行く回数が減ってしまった。

昨日、話題の映画「ダ・ヴィンチ・コード」を観てきた。
全世界で5千万部、日本で五百万部売れた本の映画化である。
ダ・ヴィンチの深い暗示が「最後の晩餐」の絵の中にあるのかと思っていたが、
あくまで漫画的な奇抜な内容の域を出ていない内容。
難しく考えないで、推理小説の映画化と割り切って観ればよいが。

    「最後の晩餐」の中の13使徒の一人の男が、よく見ると女で、
    それも娼婦だったマグダラのマリアという設定。
    マグダリのマリアといえば重度の生理の売春婦で、
    よいイメージを持たれてない。
    何故、ダ・ヴィンチが彼女を「最後の晩餐」の中に入れたのだろうか?
    という疑問の謎解きストーリー。
    マグダリのマリアがキリストの子供を宿していて、ヒロインが
    その血筋という設定になっている。
    キリスト教徒にとって、大問題になっても不思議ではないが、
    娯楽小説と無視しているようだ。

ストーリーでは、

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06月12日(火)
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