ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■2083, 哲学者がローマ法王の奇跡を切り捨てると!
    
才八∋ウ_〆(∀`●)
   知ることよりも考えること−@ ー読書日記
              
週刊新潮の連載コラムを集めたため、身辺の話題が解いやすい内容である。
先年亡くなったローマ法王のヨハネ・パウロUを『聖人』として認定するかどうかの
審査会議などの低?次元の話題や、最近TVなどに出てくる胡散臭い江原啓之とかいう
男の超常現象?について、哲学者の視点から言及している。
どれをみても理路整然と、その矛盾をストレートに切り捨てているところが痛快である。。

   「あたりまえのことばかり」「人生のほんとう」に続いてこの本を読んで、
    あまりに面白いので、さらにアマゾンで中古本だが「14歳からの哲学」と
   「41歳からの哲学」を買って、読んだ。
    第四章ー54項目の構成だが、ランダムに面白そうなところから選んで
    要点の場所を抜粋しながら考えてみよう。

    まずは次元の低い「教皇の聖人の認定か否か」の問題である。
    アホくさいが、まあ著者・池田の真骨頂が現れていて面白い!
   「秋刀魚の骨も信心から」と思って読めば、これもよい。
 
ー奇跡大好きー

新ローマ法王の選出選挙、コンクラーベの政治性も凄かったが、
これも凄い話である。何でも、この[聖人]とは、カトリック教会の最高位で、
死後これに認定されるためには、厳しい審査がある。
[聖人]よりワンランク下の「福者」として、先般マザーテレサが承認されたが、
法王といえ、これらの位にはなかなか昇格できないという。
神の前に平等のはずの宗教界でも、階級化が[死んだ跡]にもついて回るのである。
生きているうちに政治的な動きをしていたのだろうか?

    が、凄いと思ったことは、その資格認定とされるものだ。
    必須とされているのが、「聖人」の場合でも二回以上、「福者」でも一回の
    奇跡をおこしていなければならない。
   [奇跡]の定義が、[科学的に説明不能」であること、それを審査するために、
    バチカンにも専門の科学者がいる。そこで、説明不可能といわれたものが、
   [本物]の奇跡であるか否か、高僧達が判断を下すそうだ。

私はある種感嘆をおぼえた。科学的に不可能であるということが、
「すなわち」価値である世界があるとは、盲点を突かれる思いであった。
彼らが[奇跡]を価値とするのは、イエス・キリストが病人を癒したとか、
死人を生き返らせたとか、聖書に記載されているからだろう。
それで、そういう[奇跡的]力を有する人が宗教的に優れた人ということになるのだろう。

   しかし、当のキリストは、この世の命を命と思うな、
現世の価値に執着するなと、繰り返して説いている。
永遠なるものは、その価値は、あなたたち自身の内にあると。
   宗教の本質とは、現世的価値に対して永遠的価値を提示するところに
   あるのではなかろうか。

癒しや復活など現世的としての奇跡的出来事は、宗教の本来無関係のはずである。
ゆえに、宗教が奇跡それ自体を価値とするなら、すでに話は転倒している。
宗教など、早い話が、永遠のふりをしたしょせんは現世利益じゃないかと言われても、
仕方がないのである。
だいいち、科学により説明不可能ということが、なんで奇跡ということなのか。
逆に、科学により説明可能なら、奇跡は奇跡でなくなるというのか。
ここに根本的な勘違いがある。

    科学というのは、そのとおり、説明のための一方法である。
    何を説明するかといえば、言うまでもなく、自然である。
    自然の奇跡である。花が咲くこと、陽が昇ること、この宇宙が
    このように存在することの奇跡である。ゆえに、科学がいかに説明しても、
    このこと自体の奇跡が、軌跡でなくなるわけではないのである。
    逆に、このこと自体の奇跡はいかにしても説明不可能だからこそ、人は、
    [神]という発想をもったはずなのである。


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12月16日(土)
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