ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■2065, あたりまえなことばかり −16
b(^o^)d おっ
W(^O^)W はよー! ー♪
この女哲学者よりも、私のほうが「心の中で生きているとは、どういう意味か」
という内容に関しては、深い経験をしているように思えたが、どうであろうか?
両親が亡くなったときに、あくまで夢?であるが、色いろな体験をしているからだ。
父の場合、父の方の心理そのものになってしまったり、
母親も最近まで夢の中に出てきたからだ。
{全過去の記憶を現在として保有する「心」とは、
その意味で、存在そのものではなかろうか。
記憶は、「心の中」に存在するのではない。
記憶こそが存在する現在である。
逆に、我われが現在生きるとは、存在の記憶を生きることである。}
「記憶をなくした男」の映画を観たことがあるが、
まさに上記のとおりである。
「自分が何者かわからない」ほど、恐ろしいものはないと、
寒気がしたのを憶えている。ただ、虚無が自分を取り囲んでいるだけだろう。
本人がどうしてよいか解らない心理が、その映画で出いていた。
「過去を消したい」と思うのは、都合の悪い過去を消したいだけである。
「いま、ここ」は、全過去があるからこそ、垂直に立ち上がる。
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他者の死はなぜ悲しいのかーB
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*心の中で生きているとは、どういう意味なのか?
肉体として存在しないけれど、記憶として存在する他者は、その限り、「存在する」。
この存在の意味を考えてみよう。
死んだ人が心の中で生きている、しかし、先に我われは、
死んだ人はあの世にいると納得したのではなかったか。
心の中にいながら、あの世にいるその人は、すると、どこにいることになるのか。
彼は「今」どこにいるというのか。生きていたのは誰なのか。という、
かなりの程度奇妙な問いが、押えがたく立ち上がってくるのが、ここである。
更には、「生きている」ということすら、
肉体の所有と消滅で理解できるような自明な何かなのか。
肉体として消滅してなお、死者は生者の記憶として存在する。
死者の記憶を心に抱いて、生者もまた死者になる。
それなら、その人が存在したということはなかったことになるだろうか。
そんなことはあり得ない。
存在したことは、存在する。すなわち、過去は現在である。
全過去はこの現在に存在しているということだ。
全過去の記憶を現在として保有する「心」とは、その意味で、
存在そのものではなかろうか。記憶は、「心の中」存在するのではない。
記憶こそが存在する現在である。
逆に、我われが現在生きるとは、存在の記憶を生きることである。
死者の記憶が存在の一風景なら、
現在に自身を生きていると思っている生者にとってそうだろう。
自身の生の記憶を抱いて、生者も死者になる。
このように自覚する時、生きているか、死んでいるかは、
もはや存在の記憶として明滅する我われの、仮の衣装にすぎなくなる。
さらには、生者の記憶にその姿で存在している死者も、
別の衣装をきて何処にか存在するだろう。
存在しないということはないからである。
ここで時系列の逆の側、すなわち未来の意味が現れる。
したがって、未来もまた存在の記憶と言えよう。
生きてきたのは誰なのか。裏返し、生きているのは誰なのか。
にもかかわらず、明らかに、他の誰かでない彼であるところのその人は、存在した。
ある時そこに生きていた。
言葉の正確な意味で「唯一無二の」その人を喪って、喪った人はその人の死を悲しむ。
やがては、時間が心を癒すだろう。
彼の存在を、無限的存在のひとつの風景として見ることができるようになった時、
「一期一会」、この奇跡的出来事への感謝の感情が、地上にあることの悲しみの感情に、
代われるのではないか。
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11月28日(火)
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