ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■2014, ゴミ少女 −1
おはよ〜!(*^ワ^*)i
(~O~)ふぁ・・
図書館で「新潮45」の1月号を何気なくページを捲っていると
ある一枚の写真に眼が吸い寄せられた。
電車の中で、女子学生が超ミニスカートで電車内で座り込んでいる姿があった。
その写真と手記を書いているのが、インドやネパールなどの写真で知られている
写真家の藤原新也なのである。
文庫版の彼の写真集を二冊買っているので、何で「こんな写真」と「クソ女」という
過激な文章を書いているのかと、さっそく借りてきて読んだ。
特別寄稿のテーマは
ータリウム事件に見る、「殺さねば出会えない母」に関する一考察ー【藤原 新也】
である。
話は変わるが、
長岡の駅裏で通勤途上、超ミニの女子学生30人位がバス待ちをしている姿を毎日見ている。
本当にパンツが見えそうなほどで、目のやり場に困ってしまうほどである。そうそう、
地元のラジオで新潟県の女学生のスカート短さが日本で一位と言っていたが・・
数年前のことになるが、
女子学生数人が駅の専門店街の中二階で、股を広げスカートをパンツを
隠すスタイルで座っていた。
そして下から上がってくる男達の目線を笑いながら見ていた。
私も一瞬、眼のやり場に困り、次の瞬間、その娘達の真意を読み取った。
「このクソ女!ガキども」と、思ったことを、この藤原新也の文で思い出した。
恐らく多くの大人が同じような経験をしているのだろうが、
このレポートは、その代弁をしているような内容である。
ーその書き出しのところを書き出してみる。
−−
[ゴミ少女]
ネットで話題になった一枚の写真がある。
JRの車内。女子高校生の通学風景である。
K駅から乗り込んで向かい合わせのシートに座り一息ついたとき、前方を見てギョッとした。
これまでにも挙動の乱れた女子高校生を何度も目にしているし、昨今そのような風景を
目にすることは珍しいわけではない。しかし、その日の景色は一味違っていた。
それはなぜか昔見た『ソドムの市』という映画の奴隷船のシーンを思い出させるほど
恐ろしく弛緩している。
携帯していた簡易なデジタルカメラを取り出し、座ったままひとつシャッターを押す。
立ち上がって構図を決めず、そのままの姿で撮ったのは乗客の視線を維持したかったからだ。
したがってその写真を見る者は自らがシートに座ってその平成ニッポンの‘荒野’を眺めている
私の視線を共有することになる。
かって『少女』とは聖性と清らかさの代名詞だった。
そこに芽吹く思春期の性の萌芽さえ恥じらいの仕草やゆれる心の中で、
むしろその聖性を一層目立たせるものである。
そういった、人間の猥雑さ卑俗さとは最も遠くにあったはずの象徴的な女学生が、
逆に最も猥雑な存在となるこの戦後60年目の現実。
かりに地表に転がるものをゴミと呼ぶなら、
‘ゴミ化’の様相さえ呈する少女というこの現実に改めて驚愕をせざるを得ない。
私はこの写真をHP上でアップした後、
自分が連載している地下鉄のフリーペーパーで取り上げた。
そして記事は議論を呼び、さらに多くの意見が寄せられることになる。
その中の一文を紹介してみよう。
ー
高度資本主義の終焉とはゴミ化する人を生むことなのでしょうか。
このような光景に遭遇したとき、注意すべきか考え込んでしまう。
この写真を見ると男女の性差がなっているように感じられます。
彼女たちの日常の中に、「美しさ」という言葉が、概念そのものが存在しないのでないか。
自分のなかに理想の像が出来ておらず現存する大人の中に自分の成長モデルを
探さなければならない子供がかわいそう。
彼らは僅かの注意を喚起するために、こんなことをやっているとしか思えない。
外からは大自然がガラガラと崩れだし、内側からは人間の芯から壊れていく。
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10月08日(日)
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