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堀井On-Line
by horii86
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■1916, スペイン画家・堀越千秋ー7
才八∋ウ_〆(∀`●)
スペイン七千夜一夜
集英社文庫
読書日記
スペインといえば、やはり闘牛である。
何回か闘牛について書いてきたが、
堀越氏の闘牛の見方が独特の視点である。
「俺と一緒にするな!」という著者の声が聞こえそうだが!
一回目は衝撃的だったが二回目に見たときは、観衆と一緒に興奮して、
面白いと思えるようになった。
早くいえば、寄ってたかって一頭の牛を殺すのを楽しむショーである。
が、慣れてくると、それが恐ろしいことに、面白くなるのだ。
現在は、闘牛士と戦う前に、槍で刺して弱らせる。
そうしないと殺される確率が高くなるからだ。
初め観たときに誰もが思う「卑怯ではないか!」と。
しかし、ここはスペイン!
それが現地の文化?の一つなら一緒に楽しむこと、と決め込み、
何度か自分の良心に言い聞かせて・・・
まずは、その一部を抜粋してみた。
ー
スペイン名物、闘牛とは、そもそもそんな主客転倒の様式化といってよい。
牛は、平和な原野の牧場からある日突然連れさられる。
暗闇に閉じ込められて、いきなりドアが開くとまぶしい闘牛場だ。
怒ってやみ雲にも角を振り回しているうちに、あちこち槍だの銛だのに
突き刺されて、最後に長剣を刺されて死ぬ。
何が何だかわからない。
一方、客の方は、やれあの牛は闘士がない、いや勇敢だ、角を左に回す癖があって
よくない。いや口を結んだままで強い、右足がゆわい、いやダメな牛だ、
いや素晴らしい牛だ、これこそ牛の中の牛だ、等々、勝手なことを言う。
そして、血の泡吹いて息絶えた牛が、4頭のラバに引かれて退場をするところを、
拍手をしたり、口笛をふいて避難したりする。
人間どもの勝手もいいところだ。牛の都合など一切、考えない。
人間の都合と審美観のみを一方的に牛に押し付ける。
元々人間対動物の関係は、そういった一方的なものだが。
牛の都合は、実は、無視されているのではない。
スペインの人間によって、主客転倒や主客合一の甘露をかけられて、
つまり人間にとって良い牛は、恐ろしい野生の黒牛でもないし、
敵でもない。美しい、雄雄しい、勇気ある、気高い「自分」なのである。
強い牛は自分の美点の反映なのである。
もちろんこっちの自分は、牛がいくら刺されても痛くもかゆくもない。
牛の中に一瞬、自分の美しい反映を認めただけなのだから、
牛がばたりと死んでしまえば、あーあと葉巻をくわえて背伸びするだけだ。
こういう便利で自分勝手で、自由にあっちへ行ったりこっちへ来たり、
一瞬のうちに都合の良いほうへ乗り移る「自分」というものを、
日常的に心の中に飼っておかないと、闘牛という、不思議な審美観によって
支えられる「芸術」を理解したり、まして愛したりなど、到底できない。
ーーー
スペイン人と日本人は違うのです!!
以前の闘牛について書いた文章です。
−−
2002/09/07
パンプローナの牛追い祭り
今朝9時半より、衛星TVで今年のサン・フェルミン祭を放映していた。
もし神様が一日だけもう一度同じ日を与えてくれるといったら、
4年前のこの祭りの最終日を間違いなく選ぶだろう。
今年は例年になく多くの負傷者が出た。
今日の番組は毎朝の牛追いに絞った8日間の内容の為、
毎年放映される中でも特に迫力があった。
初めから最後まで手に汗を握る内容であった。
この祭りはヘミングウエーの「日はまた昇る」で舞台になり世界
に一躍知られるようになった。
この期間ー7月上旬の8日間、町中の人が白い服に赤の腰巻の布を巻き、
赤いネッカチーフをつける。
パンプローナの出身者の多くが帰ってくるという。
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07月02日(日)
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