ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■1855, ローマから日本が見える−9
(o´・ェ・`o)♪ぉはょぅ
ローマ街道を彼らローマ人は武器と考えた。
そして、その武器を最大限生かした。
その武器を平時の時に常につくり続けていった。
このため、彼らは兵隊を駐留させる必要はなかった。
その詳細が、この本には解りやすく書いてある。
ーー
ーなぜローマ人は街道を造ったのかー
もう一つのネットワークは道路網である。
人間や車馬が頻繁に行き来することで自然にできる道ではなく、
最初から計画を持って街道を建設するのは、何もローマが最初ではありません。
紀元前5世紀のペルシャ帝国にはペルシャ湾から地中海へと至る街道が
整備されており、歴史家のヘロドトスを驚かせています。
しかし、街道を単なる物資や人の輸送のためだけに輸送のためだけに
利用するのではなく、もっと有機的に利用するというアイデアを考え
出したのは、しかも、それをネットワーク化すれば飛躍的に効果が
上がることに気づいたのは、ひとへにローマ人の発明である。
ローマ街道の敷設はBC312年、つまり山岳民族のサムニウム族との
戦争のさなかに始まっている。
最初に着工されたのが、アッピア街道です。ローマの財務大臣の
アッピウスの立案、監督によることから名づけられた。
それまで無かった道路であった。
この目的は、ローマ連合を強化し補完することにあった。
ローマは戦争をしたとしても、その後は力で押さえ込むのではなく、
ローマへの同化を通じて同盟国との関係の強化の道を選びました。
あえて相手国に駐留軍を置くのではなく、道路網を敷設してお互いの
関係を深くする道を選んだ。
同時に軍隊の迅速な移動を可能とするため長い直線を持った舗装された
街道が多く整備した。
それは最終的にはイタリア半島のみならず、
ガリアやブリタンニアにおいても敷設されていた。
こうした街道には、敷設した執政官や総督の名が冠せられている。
しかし、街道を敷設する目的は、これだけではありません。
ローマ人が何かことを行う場合、これが単一の目的だけでない
ということです。それは人間やモノの移動を通じて、
「敗者の同化]]路線をさらに推進していこうということだった。
BC312年に始まったローマ街道の敷設は、BC1世紀の共和制時代で
本国イタリアを網羅し完了。
帝政に入ってからは、ヨーロッパ、中近東、北アフリカをまたがった帝国全域を
網羅していく。その結果、ローマ帝国全域に張りめぐらされた街道は
所要道路だけでも、375本、その全長は8万キロを越え、砂利舗装が主の
支線を入れれば、総延長35万キロにおよぶ。
ー つづく
ΒΥΕ.._〆('Д'*⊂⌒`つ
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2005年05月02日(月)
1490, 24歳の日記ー4
4月1日 1970年
一番大事なことは、誠実である。
誠実さを持てば自ずから幸福につながる。
言葉というものは、いわば自由な消費財と捉えられる。
しかも、その消費財を使う消費者は生産者を兼ねている。
何か解ったような解らないような。
父親に言われる、
「人間、自分が将来に希望を持てないようだったら死ぬべきだ!
周囲に迷惑がかかる。死ぬなら今のうちだ」
4月11日
10日間、両親と三人で四国に行ってきた。
両親と三人で旅行するのは、今迄で初めてである。
考えていたより、素晴らしい旅行であった。
良い思い出になった。
特に、香川の坂出の夕陽のオレンジ色の輝きは
生涯忘れることができない。
生まれてみる初めて見た自然の輝きであった。
瀬戸内海の景色の中の波の照り返す黄金の輝き!
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05月02日(火)
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