ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■1525, わたしの酒中日記−4
金沢編−2

1972年2月某日

武蔵が辻の職場からバスで、20分位のところに寮がある。
その中間点にある繁華街の香林坊で降りて、老舗風の飲み屋を探す。

今夜は片町の大和百貨店の裏にある飲食店のおでん屋に飛込みで入る。
人品の良い美人の母娘がいた。聞いたら、三代も続いている店だという。
隣の客が話しかけてくる。
「言葉が違うようだが、観光客か?」
「いや、勤めの関係で、一年います」
地元の人からすると微妙な立場のようだ。
とにかく、金沢の人は人なつこいのが特徴だ。
それと金沢べんの言葉が心を優しくする。
言葉の最後に(〜じ)をつける。
「〜だよね~」という意味である。
それと
「〜しまっし」という言葉もよい。
「~しなさい」という意味である。
そのアクセントが何ともよいのだ。
特に女性がいうと「あ~金沢」になる。
それとおいしい店が多い。

ここの土手焼きが美味い。
それと次に頼んだスジ肉の煮込みも絶品である。
おでん屋のおいしい店を彼方此方で食べたが、この店はまた格別である。
立て込んできたので、その店を出る。

このまま帰るのは、惜しいので大和百貨店の隣の飲食ビルに入る。
安そうなスナックに入って、カウンターに座る。
まだ8時なので、お客は誰もいない。
素人っぽい20代半ばの店の女性が話しかけてきた。
まだ金沢に来て2ヶ月で、一〜二年いたら、また何処かに流れていくとか。
若いうちに、彼方此方にいって転々としたいのだという。
こういう生き方もあるのか、驚いてしまった。

「この仕事の接客のポイントは何か?」と聞いたところ、
「期待を持たせること」とか。
まさか「何の期待?」とも聞けないし。
「それじゃ〜、何か期待してよいか?」と聞くと、
「今度、兼六園を案内してくれる?」というから、
「今度ね!」と、空約束をして?店を出る。

バスの定期あるが、歩いて帰ることにした。
浅野川の橋を渡って、20分ぐらいはかかったが酔いを冷ますのに丁度よい。
まあ、一人で飲むのも悪くはないが、

それにしても金沢には美人が多い。
それと金沢の文化と風情がよい。

金沢には、3年間が目安だ。
能登半島や、金沢の街を貪欲に知っておかなくては。
もっと一人旅をしなくては。

加賀100万石の城下町の歴史が観光だけではなく、
飲み屋や喫茶店などに色濃く残っている。
ここは地元の人には非常に厳しいコントロールがある。
反面、部外者には優しいのだ。
この文化的な特徴は数年住んでみなくては知りようがないが。
明日は同期入社の連中との飲み会だ!

ーー
また偶然の一致、
去年の今日も金沢関連のことが書いてあった。

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2004年06月06日(日)
1160, 「武士の家計簿」−2

いまの時代にタイミングよく出版された、時の書といってよい。
現在の日本は、第二次大戦の終戦時や、江戸末期から明治維新の時期より大きい
大転換期にある。
この時期に江戸末期の武士がどのような暮らし向きをしていたのか、
どう対処していったかが、彼らの家計簿から大きなヒントを得ることができる。
彼ら猪山家の人たちが語りかけてくる言葉から「過去の人との対話」が可能になる。

「あとがき」の最後の文章が印象的である。

ー大きな社会変動期には「いまある組織の外に出ても、必要な技術や能力をもっているか」
が死活を分ける。家柄を誇った士族達の大部分は、その時点で社会から外れていったのだ。
現状を嘆くより、自分の現行を嘆いて、社会に役立つ技術を身につけようとした士族には、
未来が来たのである。私は歴史家として、激動を生きたこの家族の物語を書き終えて、
自分にも、このことだけは確信をもって静かにいえる。
まっとうなことをすれば、よいのである・・・・・。
ーー
転換期にある日本人にとって、いや自分にとって、この作家の努力によって
彼ら猪山家の人たちより「深いメッセージ」を与えられたといってよい。

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06月06日(月)
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