ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■1409, 私の見たW杯サッカー北朝鮮戦
昨夜の北朝鮮戦を私が書くと・・

北朝鮮軍人部隊サッカーチームと、
全日本選抜混成サッカーチームとの闘いであった。

チームプレーに勝る北朝鮮に対して、国内だけでなく、世界で戦い
抜いてきたスターの臨時編成外人部隊の、全く違った個性の、ぶつかり
合いの試合になった。

サッカーとはいえチームプレーである。
そのチームプレーでは、当然のこと北朝鮮が数段勝っていた。

サッカーでは、パスが重要になる。
スピードと、正確さ、そして一人当たりの球の持ち時間の短さと、
隙を狙った位置へのパスが重要になる。
その点では、北朝鮮が日本より優れていた。

あとは、勝機にいかに集中するか、勝ちにつなげるかがポイントになる。
その一瞬の間が見ていて面白い。その点では、多くの修羅場を経験している
選手が多い日本のほうが絶対有利のはずだった。

勝負は終了間際、ロスタイムのシュートで辛うじて日本が勝つことができた。
北朝鮮が勝ってもおかしくない試合で、勝負に対する執念がチーム全体から出ていた。

拉致問題が背後にあるため、代理戦争という緊迫感が試合を盛り上げた。
Wカップは国の威信をかけた闘いのため、国民感情が露出される。
「ワールドカップは90分の愛国心の発揚の場」というが、ゴールの一瞬、
日本中がわきあがっただろう。

反面、軍人がサッカーを通して闘った北朝鮮は、個々人にとってもチームに
とっても、絶対に負けられない試合だった。
勝つと負けると大違いである。

あのボールが地球儀に見えてきた。
次は、イランだ。
三月は色いろ面白い!

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2004年02月10日(火)
1042, 随筆はプロが書くもの! −2

「文章術の千本ノック」 −読書日記ー2

この要点を目次に書き込みながらまとめてみる。
品格もあるようだから、心して文章を書かなくてはならない。
(ー>が要約である)

序ー文字を惜しめ

−>お金と文章はケチなほど良い.その為には最小限に書く心がけが必要だ。
 書き直しと添削を繰り返すことが重要である。
 文章は明らかに芸術的な営為である。
 簡単なデッサンではない。
 
1−文章の第一要件は[客観性」にあり

ー>客観的な「批判」というプロセスを通過したものでないと、他人が読む場合には
 耐えられない。エッセイは常に書こうとする「外」にいて、外からこの「世界」を
描写するのをエッセイとはいわない。
 エッセイは一度内側から書いて、それを外側の眼で眺めかえさなくては
 ならない。
 エッセイ(随想)と随筆は、明らかに違う。
 エッセイは、一言で言うと「論理的文章」と定義したらいい。
 論理のない文章はエッセイではない。
 見てきたこと、生きてきていてこう思うとか、文化論だとか、
 その中にある論理を読んでもらうのがエッセイである。
 
 「随筆ってものは素人が書くものではないと思います。」
 「これが天下の真実というもので、功なり名を遂げたプロの作家が、
 趣味で書くものです。あるいは松平定信のようなお殿様が、日ごろの生活の中で
 心に浮かぶ『よしなごと』をぼつぼつと書き付けたというものが随筆であって、
 これはよほど文章力があるとか、その人の人生が面白いとか、
 その人の観察力が鋭いとか、描写力が秀逸だとか、そういう経験と筆力が
 物を言う世界なんです、随筆は。」
 随筆は論理性より、プロがつれずれに書くもので論理性は逆に求められない。
 
2−エッセイと観察
 
 エッセイにはまずテーマがなくてはならない。
 そのテーマをどういうふうに論理を展開するかがエッセイの一番の醍醐味になる。
 エッセイは「あ、おもしろい」と思う切り口が必要である。
 我々は多くのものを雑にしか見ていない。
 団子だったら団子という概念でしか見ていない。
 その団子を取り上げて面白おかしく描写をするのがエッセイである。

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02月10日(木)
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