ID:54909
堀井On-Line
by horii86
[399456hit]
■989, 軽井沢の思い出
現在書いている随想日記に「軽井沢」のことが頻繁に出てくる。
記憶の彼方のことが、今更のように思い出される。
大学二年の秋に、隣の部屋の先輩から「OBの先輩がペアレントを
している軽井沢の山荘」のアルバイトに誘われた。
丁度、学生時代の生活に慣れて、寮とクラブだけの生活に辟易としていた
時期で丁度よいタイミングであった。
仕事といえば、食事つくりと、掃除と、宿泊客の夜の遊び相手である。
若い女性が殆どで、フォークソングを一緒に歌い、ゲームをしたり、話相手になる。
初めての経験で夢のような毎日であった。
卒業するまで連休や夏・冬休みなどに二年間ほど行っていた。
早朝の朝もやの中、宿泊客とか同じヘルパーの女学生と散歩をするのが
一番の楽しみであった。並木道の木が重なり合っている「愛のトンネル」
いや「「愛の小道」という絵に出てくるような場所もあった。
周囲は別荘や池やホテルなどがあり、鳥のさえずりや雉の鳴き声が聞こえてきて、
幻想的な小説の主人公になったような世界であった。
そこで仲が良くなって東京で会ってもTPOSが違うのか、一度で夢破れた
ことが何回かあった。夢は夢にしておくべきということを何度か再確認をした。
また久々に会う女学生が嬉しそうな顔をして走りよってくる姿が、
何ともいえない記憶として残っている。
何で誰とも結婚しなかったのだろうか、不思議で仕方がない。
両親の縛りから抜け出せなかったのだろう。
いや??!まだ受け止められるだけのものが無かった。
ところで話が変るが、そこの名前は「友愛山荘」であった。
旧軽から歩いて7〜8分のところにあった。
政治家一族の鳩山家の政治団体「友愛」が、ボランティアで運営している
ユースホステルであった。今はもう「鳩山家」の別荘に変っている。
そのペアレントー山荘の責任者が、学生寮の先輩で「三浦満さん」あった。
結婚したてで、奥さんが明るい人で「波子さん」と言われて皆に慕われていた。
一歳の赤ちゃんがいた。
夜の「お遊びタイム」の後、三浦さんと酒を飲みながら政治や哲学など
話すのも楽しみであった。
{ユースホステルでは、宿泊客をホステラーと言い、アルバイトをヘルパー、
マネジャーの役の夫婦をペアレントといっていた。}
大学を卒業をしてから10年位の間2年に一度は遊びにいっていた。
また私の結婚式には三浦夫妻に出席してもらった。
「海外旅行」「葉山」「留学」「軽井沢」「外車」ゼミ」などの言葉は
学生時代の私の世界では、特別の響きがあった。
友人の何人かは外車のアルファロメオやフォルクスワーゲンなどを
乗り回していた。貧乏(寮生活)と金持ち(欧州旅行で知り合った友人)
の狭間で、目が回るような日々であった。
今から考えてみると、あらゆる人と社会的なものを一切脱ぎ捨てて、
裸で付き合えたのが学生時代の一番の特典であった。
・・・・・・・
・・・・・・・
2002年12月19日(木) 615, パタゴニアの旅行記ー2
この旅行は12月4日〜17日までの14日間の旅行であった。
・まずの見どころは世界自然遺産の一つ氷河国立公園の拠点の
アルゼンチンのカラファテに三連泊。大迫力の氷河の崩落
を見るペリノモレノ氷河、及び氷山の浮かぶアルティーノ湖の
クルーズを楽しみ、この氷河国立公園最大のウプサラ氷河を
見る内容であった。
モレノ氷河については前回書いたが、ウプサラ湖の一面小さい氷山
で埋め尽くした景観はその氷河をバックに何ともいえない美しさを
現していた。
またウプサラ氷河は幅10`高さ80bの壮大な景観を、晴天の空の
青に氷河の白と青をミックスさせて我々の眼の前に展開していた。
何ともいえないパタゴニアの美しさに時間の静止を感じた。
・次のハイライトはパイネ国立公園であった。
1万年前に絶滅した巨大なナマケモノーミロドンの骨が発見された
ミロドンの洞窟の岩ドームに呆然とした。
その中でやはり圧巻はパイネグランデの雄姿である。
[5]続きを読む
12月19日(金)
[1]過去を読む
[2]未来を読む
[3]目次へ
[4]エンピツに戻る