ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■8046,閑話小題 〜よくやるよ… プーに、習に、金チャンに…
追:ところで、書き残こしておけば〔私にも歴史あり、過去有り!〕に。
去年の出発の日は桜は散っていたが、今年は、これから… 平成最後の桜見だ。
たしか同級会と重なっていた。今年も、花見を兼ねた会が開かれる通知が…
30分早いが、さて福島江と信濃川土手の桜見のポタリングに出発…
・・・・・・
6238,閑話小題 〜金沢・富山バスツアー 〜2
2018年04月12日(木)
* こんにちは、わが青春の金沢へ
日帰りの『金沢、富山コース』。国内のバスツアーは、十数年前に、、
夜行バスで行った『京都の桜観光』以来、二回目。40歳辺りまでは家族と
とものドライブ旅行か、友人とか、仕事仲間内の企画に参加するとかが主…
その後、趣味を一品豪華主義とした秘異郷旅行など海外ツアーに絞ったため、
国内旅行は皆無だった。しかし、海外ツアーで腰痛の負担が増えてきて…
今回は、日帰りツアーとしても、腰痛が心配だったが、何事もなく帰ってきた。。
バスツアーは中高年が多いので、海外ツアーのような、強硬日程は基本的に組み
こんでないようだ。
今回は、金沢の『ひがし茶屋街・散策』と、富山の『あさひ山連邦を背景とした、
「あさひ舟川」の花見』が主である。
『金沢ひがし花街』が風情があって味わいがあった。
写真は、ネットでひろったものだが、着物姿の若い女性や、男女は、貸衣装で
着付けをしたと思われる。当地で数組の芸子らしき連れが歩いていたが、直に、
観光客の「芸子コスプレ」?と気づいた。しかし馬子にも衣裳、派手な和服の
若い女性が妙に色っぽく場に馴染んでいた。
ネットでひろった写真の芸子は、金沢美人の典型だが、勤め先の女店員の
3分の1は、この程度の美人が揃っていた。当時の写真が一枚も存在いないのが
悔やまれる。私の年代は、戦中、戦後の境目。同じ年代でも、男は数年後の
団塊世代の女性が有り余っているが、女性は終戦直前のため、対象の男が極端
に少ない。特に当時の城下町は、隠れた男尊女卑の文化が浸透していたようだ。
無役が故の気楽さと、加賀百万石の大らかさが相まって、ドップリと粋ある
美人に囲まれ、鈍よりした女社会の生温かさに浸った日常を過ごしていた。
それと、様々な小料理屋や、おでん屋の酒の味を思いだしていた。世間を渡り
歩いてきたと思っていたが、底辺の一部しか、みてなかったことも、あい知る
ことになった。 花街とは、裕福の男の3%の遊び場の名残りということ。
何時も、極限の先に、大きく世界が広がっていた。 金沢、娑婆娑婆の一節!
〜【金沢・茶屋街】で検索すると〜
<江戸時代、城下町近郊を流れる犀川・浅野川両界隈に多くの茶屋が立ち並んだ。
文政3年(1820年)、加賀藩の許可を得、犀川西側に「にし」の茶屋町、浅野川
東側に「ひがし」の茶屋町が共に開かれ、大いに賑わった。この際、旧来の不整形
な町割は改められ、整形な街区が形成された。浅野川をはさんで北西には、茶屋街
の1つである主計町がある。
茶屋町創設時の敷地割をよく残し、全国でも希少な茶屋様式の町屋を多く残して
いるとし、2001年11月14日、種別「茶屋町」で国の重要伝統的建造物群保存地区と
して選定された。二番丁にある茶屋「志摩」は、歴史的価値が高いことから2003年
12月25日に国の重要文化財に指定され、一般公開されている。>
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2001/12/21
[178] 忘れられない店ー4(金沢)
ー平家ー鉄板焼き
04月12日(水)
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